【WEB in 1面記事】福山伝統産業の今、そして未来へ② 松永下駄〈9/18ゲタリンピック〉

松永下駄の歴史と現在

松永下駄の発祥は、明治11年頃。下駄の小売商であった丸山茂助が、塩田の広がるこの地で、塩を焚くための燃料として大量に運び込まれるアブラ木の性質が桐に似ていることに着目し、製造を開始したことに始まるといわれる。
明治40年頃には、全国に先駆けて機械化され、昭和10年頃には全行程の機械化に成功した。昭和30年の生産足数がピークとなり5600万足、当時23億円を売り上げた。松永湾は下駄用木材の貯木場へ、海水を取り込む水路は運搬用へ姿を変えた。塩田が下駄の町を生んだと言える。

その後下駄の生産は減り、現在は市内6社による約20万足となっているが、そのノウハウを活かした木製ヒールやサンダルなどに転換する社もあり、松永は、はきものの一大産地となった。
国内外のはきものを収蔵・展示する「日本はきもの博物館」(松永町 TEL:084-934-6644)は、下駄の製造4代目にあたる丸山茂樹さんが、松永下駄誕生100年を記念して建てたもの。株式会社マルヤマ(丸山木材興業製作所)の工場や事務所を活用した。

現在、国の有形民俗文化財2266点を含む1万3千点を収蔵。丸山万里子館長(=写真①)は「松永下駄の歴史があったからこそ、田下駄から宇宙靴まで、人と大地の接点にあるはきものが揃う珍しい館になった」と話している。

伝統の継承と発展

現在では、下駄の台(木の部分)から作っているのは、本郷町の佐藤実さんだけになった(=写真③)。下駄の製造卸・坂井商店(今津町 TEL:084-933-2538)に納められる。1枚の木を下駄の形にあわせて熟練の手つきで無駄なく切っていく。

松永下駄工房(松永町 TEL:084-930-0102)では、客が選んだ台に、好みの鼻緒をつけ、オリジナルの下駄を作ってくれる。洋服を選ぶのと同じ様にサイズ、柄、形をセミオーダーでき、その組合せは1万通り以上にもなる。
2004年以前の松永木履時代には、台から手がける製造メーカーだったが、今は、エンドユーザーであるお客様の希望を主にすえた。

また同工房は、7月末に被災地を支援する「こどもゆかたプロジェクト」に賛同して100足の下駄を被災地に送った。豊田泰久店長(=写真②)は、「仮設住宅に住まれている方が、下駄を買うまでには何年もかかるもしれない。浴衣に下駄は日本人の心のルーツ。その想いを下駄に託した」。誇りをもって下駄作りと向き合っている。

見直される新側面

近年、下駄は指のツボを刺激し健康に良い履物、子どものバランス感覚を養い脳の発達を促すともいわれ新たな脚光を浴びている。下駄履き保育をする園もあるほど。

広島県はきもの協同組合(南松永町 TEL:084-934-3322)の井田陽三理事長(=写真④)は「最近では、松永下駄も中国製品におされているが、下駄そのものの需要は高い。鼻緒が立った、美しく履きやすい松永下駄を知って欲しい」。
伝統のみにこだわらず、布を貼った草履下駄、タップダンス用のゲタップ、和紙貼下駄、鼻緒が太くチョウチョのような次世代下駄、洋服を意識したデザインのブランド下駄など新たな展開をしている。

季節を問わず手放せない感覚があって新たな需要もあり、松永下駄は組合、卸、小売それぞれがインターネットを通じた直接販売にも力を入れている。

ゲタリンピック9/18

重さ900kgもの巨大下駄を引いてタイムを競うゲタさばり(=写真⑤)、最高で40m29cm(女性は29m30cm/小学生は27m01cm)の記録があるゲタ飛ばし、制限時間内にゲタを積む高さを競うゲタタワー、5組の鼻緒がある1組の長いゲタを履くムカデリレーを含んだゲッタードリーム…。
ゲタを使って繰り広げられる全国的にも話題のイベント「ゲタリンピック」は18年前、地元産業の下駄に焦点をあて、商店街の活性化事業の一環で始まった。
今年も松永駅周辺で、今月18日(日)に開かれる。10時〜18時。テーマは「絆 人と人とのつながりを大切に」。ゲタとばしは当日誰でも参加できる(15時半まで)。飲食や名産品が並ぶ出店ブースでは被災地復興を支援する福島県産品の直売がある。ステージでは「Chain Of Survival!!命の連鎖」と題して音楽ライブの合間に医師らによるAEDの使い方や心肺蘇生法講習をし、若者への普及を行う。

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