INTERVIEWEE
鞆公民館/通堂 國廣館長
穏やかな瀬戸内海、仙酔島や弁天島、皇后島といった美しい島しょ部、その絶景を展望する後山一。
菊は見渡す限り豊かな自然に恵まれています。古くは万葉集でも詠まれ、後山からの壮大な眺めは 「瀬戸内海国立公園」として切手にもなりました。
「鞆の景色はすばらしい」と多くの方に言われますが、私のように幼い頃からここで暮らす者にとっ ては、当たり前の光景でピンとこず…。しかし、先日、東京スカイツリーから人工の絶景を眺めて初 めて、讃えられる理由が分かったように思います。
▲仙酔島を歩く町民たち
40年前に始めた町民歩け歩け大会は、2年前に場所を後山から仙酔島に移し、今年も200人が参加しました。鞆で暮らしている人たちが船で島に渡る機会は案外少ないもので、「久しぶりに来て楽しかった」「気持ちよかったよ」と口々に喜ばれました。
観光客だけでなく私たち町民も、この大自然を満喫しています。
鞆という地名は、三韓征伐のときに神功皇后がこの地に立ち寄り、身につけていた武具・鞆(弓を射 るときに腕に巻くもの)を奉納したという言い伝えに由来します。神話の時代からの歴史が残る町で
文化遺産として、よく港湾施設の5点セット(常夜燈、雁木、波止、船番所跡、焚場)が挙げられま すが、町並みからは明治、大正、昭和、平成と、それぞれの時代の住民たちの生活の息吹が感じられ ます。
鞆の町には、狭い土地に大勢の人が集まって歴史を刻んできた面白さがあります。限られたスペース を如何に活用するか、住民たちは頭をひねりながらまちづくりをしてきました。一枚の壁を共有して いる珍しい住居もいくつか残っているんですよ。
下の古地図をご覧ください。
町内の道や区画がずっと変わらないので、町内を巡るウォーキングマップが、1700年頃の地図をも とに作れました。300年以上前の地図で散策できる町は、国内にそう多くは残っていないのではない でしょうか。
あわせて100年ごとの地図も紹介します。
▲1800年頃
▲1900年代
▲2000年代
今年5月、元号は「令和」に変わりました。 新しい時代も住民の生活を守りながら、その時々にふさわしい自然なまちづくりを進めてほしいと願 っています。
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