【異業種リレーの「わ」No.651 】「どこよりも速く、美しいカーコーティングを目指す」

INTERVIEWEE No.651
カービューティープロ ダイアル
代表 佐々木 隆太 さん(44)

「磨き」の前に「洗い」を徹底

 車のコーティングと車体の細部まできれいにするカーディテイリング。弊社のメイン事業はこの2つです。平成元年5月、長くディーラーをしていた父が、カーコーティングのフランチャイズグループ「カービューティープロ」に所属し、開業したのが始まりでした。整備士でもあった父は、車の販売や修理などもしていましたが、EV車が市場に出始めたことを受け、将来自動車がどんな形になろうと長く必要とされるように、カーコーティングに絞ったようです。
 当時は、車を磨くといえばワックス掛けが一般的だった時代。特殊皮膜でボディを覆うコーティングのほうが美しさを長く保てるとはいえ、高価だったので、新車をお客様に届ける前のサービスとして業者からの需要が多かったです。一般の方からの依頼が増えたのは、ここ5年ほどですね。洗車キズやくすみを消したい方などに頼っていただいています。うちは“磨き”のプロですが、美しく仕上げるには徹底的な“洗い”が必須。エンブレム周りや継ぎ目に入り込んだ粉塵まで落とし、車種や車色に応じた方法で美しくコーティングします。
 そのほか、車内にこびりついた異臭の除去にも対応しており、お望みでしたら、シートを外して丸洗いもいたします。

突然の事業継承

 高校の頃から洗車の手伝いをしていましたが、私が興味を持ったのは、父がしていた修理やコーティングよりも車のデザインのほうで、近畿大学の九州工学部に進学しました。しかし3年生のとき、父ががんで倒れたのです。私は大学を中退し、急きょ店番をすることに。当時は知識も経験もありませんでしたが、隣接した自宅の窓越しに、療養中の父から助言を受けながらコーティングのいろはを学びました。
 父の体調が落ち着き、愛知県にあるトヨタ直営の自動車専門学校で本格的に学ぼうとした頃、父の病状が悪化。余命半年と宣告されました。当時23歳だった私は、進学よりも実家に残る道を選びました。そんな状態の父と離れることも、死に目に会えなくなることも怖かったのです。父は、宣告通り半年後に亡くなりました。それからの10年は、父とつながりのあった方々に支えていただきましたが、未熟な私では父の代わりは務まらず、売上げは下がる一方。33歳のとき、かつて父と親交があり、同じカービューティープロの看板を尾道市であげていた先輩に「うちで働かないか」と声を掛けてもらい、本気で修行させてもらおうと、一旦店を閉めて就職しました。
 残念なことに、1年後には経営難でリストラされてしまったのですが、今思えば、そこで「何くそ!」と自分を奮い立たせることができたのが重要なターニングポイントでしたね。それに、当時つきあっていた彼女から、再スタートに対して背中を押してもらったことも大きかったです。彼女は今、妻として子育てに奮闘しながら私を支えてくれています。

さらなるステップアップを

閉めていた店を再び開けたのが35歳。そこからは、がむしゃらに働きました。まずは、お客様の引き継ぎをお願いしていた業者へ、もう一度預からせていただくために頭を下げて回りました。門前払いされて当然と覚悟していましたが、事情を理解してくれ、応援してくださる方が多くありがたかったです。つくづく私は、多くの方に支えられて今があるのだと痛感しました。
 気付けば創業から元号も変わり、車のボディを守る手段は多岐にわたって、ボディを守りながら着せ替えできる「カーラッピング」という新しい楽しみ方も認知されてきています。今後は、こうした新しいものにも挑戦していきたいです。そして“洗い”と“磨き”にかけては、「どこよりも速く、美しく」を目標に、最高のサービスを提供していきます。

■ SHOP DATA
カービューティープロダイアル
広島県福山市芦田町下有地1066-10 
TEL:.084-958-4311

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