【異業種リレーの「わ」No.746 】父の工場を守っていく

INTERVIEW No.746
野田鈑装
代表 野田 寿雄 さん(49)

鈑金塗装会社の2代目

 神辺町で車の傷や凹みを修理する鈑金塗装を手がける「野田鈑装」の2代目です。会社は、父が50年前に創業、国道313号沿い、国道182号高架近くにあります。
 依頼の約7割は、中古車販売店からのもの。販売店が仕入れた車は、事故等による傷や凹みが付き物なので、売れる状態まできれいに修理するんです。パーツを外して状態をチェックしたら、裏から叩いたり表から引っ張ったりして、ある程度凹凸をならします。さらに、凹凸を合成樹脂のパテで埋め、乾いたらボディーとの段差が無くなるよう、紙やすりで整えていきますが、この時の作業は〝素手〟。手袋をすると感触が確かめづらいので、真冬でも素手で行っていますよ。塗装を施し、艶が出るまでポリッシャーで磨き上げたら完了。洗車と車内清掃をして、気持ち良く車を送り出します。1台あたりの作業は、最短1日から最長で4日程度です。

車が大好きな少年時代

 幼稚園の頃から、父が仕事で使う車の部品カタログを見るのが大好きで、全車種を覚えてしまうほど。クラウン、セリカ、カローラ……、道路を行き交う車の車名にグレードも言い当てて遊んでいましたよ。
 18歳で待望の運転免許を取得しました。当分の間、家の車に乗っていましたが、販売店から父の工場に入ってきた車に一目惚れ。販売前で買い手はまだ付いていないと聞き、就職後に貯めたお金で購入を決意しました。車は、ダイハツ シャレードGT|XX。事故で傷付いた車体を父がピカピカのボディーに修理してくれた、思い出深い1台です。

父の工場を引き継ぎ守る

 工業高校を卒業し、4年間一般企業に勤務した後、父の跡を継ぐため野田鈑装に入社しました。長男なのでずっと家業を継ごうと思っていましたが、入社するまで鈑金塗装の経験は無かったので、仕事は父を見て覚えました。見よう見真似で修理して、ダメなところを父に怒られながら直す、といった感じですよ。一人前になるまでは5年かかりましたかね。
 以後25年近く父と二人で仕事をしてきましたが、高齢のため一昨年引退してからは、一人で作業しています。何とか頑張っていますが、重い物を運ぶ時や部品の一方を固定したい時は困りますね。今は、道具を使う等の工夫で乗り切っています。寂しさや作業をする上での困難もありますが、一人の気楽さも嫌いではないですよ。
 父が一人で頑張っていた姿を横で見てきたので、私も父が残した工場を引き継いで、最低でもあと20年は現役を続けたいと思っています。22年の年明けから工場の改装工事も始まるので、心機一転頑張ります。昨年亡くなった父も、天国から見守ってくれていることでしょう。今後もお客様のニーズに寄り添った仕事をし、喜んでもらえたらと思っています。

■ PROFILE
1972年生。福山市出身。高校卒業後、一般企業で自社ビルのメンテナンス・管理業務に従事。退職後の1995年、実家である野田鈑装に入社。2021年より代表

■ SHOP DATA
野田鈑装
広島県福山市神辺町川南1652-1
TEL:084-963-5184

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