INTERVIEW No.853
株式会社ミヨシ
代表取締役 三吉 立人 さん(54)
Qちゃん〜八十吉ラーメン
昭和50年(1975年)に、父が飲食業を始めました。焼鳥の「Qちゃん」です。もとは会社員でしたが、九州の焼き鳥屋で修行し、福山で独立しました。そのとき私は5歳でした。
その後、店は伏見町から昭和町に移転。系列店を増やし、居酒屋やピザ屋など、一時は最大で6店舗になりました。その羽振りの良さをみていた私は、大学卒業後すぐに父の会社で働くことにしました。
入社後間もなく、父が「ラーメン屋をする。豚骨ラーメンの本場、九州で学んできてくれ」と言いました。ラーメン店としての食材の仕入れや器具などのオペレーションを担当するという目的で、一人暮らしをしたかった私は、すぐ承諾しました。久留米には姉が住んでいたので、本場福岡を避け、敢えて知人のいない熊本へ。25歳で呼び戻されて、東福山駅の近くに「九州ラーメン Qちゃん」をオープンしました。
最初数年は移転が続き、10席ほどの繊維ビル(今のアイネスフクヤマ)、「福山八十吉ラーメン」と改名した千田町の182号沿いを経て、1998年にサントーク(今のさんすて)2番街に落ち着きました。
大鍋で焚く豚骨スープ
豚骨スープは、直径1mの大鍋で焚きます。毎日、豚骨やガラを足し、大きな棒でかき混ぜ、あくやカスをきれいに取り除きながらまた継ぎ足していくスタイルを続けて、オリジナルの白濁した濃厚な味にたどり着きました。といっても、その日の素材にあわせた微調整が必要で、毎日8時間格闘します。これでいいのか?これが最高なのか?と日々自分に問いかけながら30年が経ちました。このスープをベースに、にんにく油がガツンとくる「福山八十吉ラーメン」が不動の一番人気です。最近は、丁寧に仕込んだ鶏ガラベースの塩、尾道醤油もご好評いただいています。
気軽な雰囲気と金額で
代表を継いだのは40歳。一代では返せないほどの借入れが残っていました。返し終わるまで絶対に逃げ出さない覚悟で受けました。今もその気持ちは変わっていません。朝7時に店に来て夜10時半まで働く生活で、睡眠は午前中1時間、午後2時間、夜3時間の3回に分けています。休みの日も朝は店にいます。そんな生活を続けられたのは、借金を返すという意気込みとお客様の支え、元気な体をくれた親のおかげです。
お客様が安いと言ってくださる料金設定ですが、これからも無理のない程度で、たくさんのお客様に気軽に来ていただけるように決めていきます。100人で10万円儲けるより、200人で10万儲けるほうがいい。そのほうが楽しいじゃないですか。
時にはお客様のお話を聞き、また来てくれたら会話の続きをして…そんな「おかえり」という雰囲気も大事にしている店です。そこはこれからも守っていきたいと考えています。
■ PROFILE
1970年生まれ。福山市出身。飲食店経営の(株)ミヨシに入社し、熊本で豚骨ラーメンを学び引野に店舗オープン。東桜、千田を経て、三之丸で四半世紀。多くのファンに愛される。
■ SHOP DATA
福山八十吉ラーメン
広島県福山市三之丸町30-1 さんすて2番街
TEL:084-932-0009