供養とは、土に還す、亡くなった方の霊に供物を捧げ、礼法を整えることだとされています。霊の心を安らげる作法です。しっかりと作法を行うと、見送る者の心も安らげることができると思います。見送られる者、見送る者の心を癒す行為です。お墓を建てて、真心を込めて手を合わせることは、当事者にとって大変意味のあるものです。
命は、この地球の大地を素材として生まれ、暮らし、やがて命を終え土に還ります。亡くなられた方(親族・仲間)の記憶は、いつまでも心に残したいものですが、肉体は大地に還すことが自然の形でしょう。遺骨を壺に納め埋葬するのが普通でしょうが、綿布で包み土に戻すことをお勧めしています。それが、供養の形としてふさわしいもののように思えます。
改葬時の立合いで時々、壺の中に水がたまったものを拝見します。それでは丁寧な供養をした事にならないのです。以前も、改葬のお手伝いをした時、骨壺が水に浸かっていたのを改善後、その方は大変感の良いお方の様で「以前はご先祖が水におぼれる夢をよく見ていた。改葬後そのような夢を見なくなった。きっと良い祀りになったのでしょう」と感謝の言葉をいただきました。
供養はどのような形で、どのような心持ちで、どのようにすべきでしょう。供養では、個別に独立し、質素でも良い礼節をもって、上品な感性でお祀りしたいものです。例えば「自分なら」「自分の孫なら」心安らかに眠ることができるかをしっかり考え、良き業者と良き話し合いをしながら、供養の道を探っていきたいものです。永代供養でも、遺骨は土に戻すことが最善かと思います。
余談 日本の各地にある五重塔は、仏舎利(お釈迦様のお骨)を納めた建物です。福山の明王院五重塔も同様です。スリランカ(セイロン)には仏歯寺院と言って、お釈迦様の歯を祀り霊験あらたかな寺もあります。お釈迦様のためのお経、舎利禮文(しゃりらいもん)を唱えると、功徳があるとされています。
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むらかみ先生の『ひなたぼっこコラム』
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<良い心を伝播させる>
「仁」という言葉が、孔子の思想にあります。慈しみ、思いやり・優しさをあらわしたものとされています。「人としてのたしなみ、上品」を表します。人がそれぞれに心に持ち、良き人生を送ろうとする覚悟です。人としての生き方の理想と言われています。ただ、弱肉強食のような現代においては、中々難しい思想にも思えます。強い者・力の有る者が勝つ、金銭的に成功したものが勝つ、で心豊かに相手を思いやる心に価値を置かないギスギスした社会になりそうです。人として、良き考え・態度をもって社会で生きていきたいものですが、周りを見回すと自身に甘く、年を重ねるごとに安易に生きる者が増えていくように思えます。良き人の周りには良き人が、安易に自分本位に生きる者の周りには安易な態度の者が集まってくるようです。
自身の周りを、良き人に囲まれることは、大変心豊かな生き方だと思えます。心は、思いは伝播します。心を磨き、良き生き方を目指し、心豊かな社会を維持したいものです。