INTERVIEW No.751
HITOSAJI(ひとさじ)
デザイナー 岡山 舞子 さん(38)
2019スタートのブランド
「HITOSAJI」は、私が19年に立ち上げたアパレルブランド。自宅のアトリエで、ブランドアイコンである倉敷帆布を使ったバッグの企画製作から始め、20年にワンピースやシャツ、アクセサリーを含む初のコレクションを発表しました。デザイン、パターン、生地や糸の選定、試作品まで行っています。長く着られる服作りを心がけていて、無地の生地を採用し敢えてシンプルにしたファーストコレクションに続き、今年10月発表のセカンドコレクションは私が好きな民族調を取り入れます。ファースト、セカンド、さらにその次と、年を追うごとに組み合わせて着られる服が増えていく、そんなストーリー性のある服作りを意識。料理に〝ひとさじ〟を加えると、とびきりおいしくなるように、大人の女性の美しさをより引き出したいという思いで、1年かけて考えた「HITOSAJI」の世界観をこれから形にしていけることに、とてもわくわくしています。
14歳から夢に向かって一直線
幼稚園の頃から夢はデザイナー。14歳の時、それが確信に変わり、高校は美術部で画力を磨く、進学で東京に出る等、目標を一つずつ定めクリアしていきました。進学先は、パリに本校を置く「エスモードジャポン東京校」。1年次からフランス人講師の授業があり、デザインは芸術的であるべきという本質を教わり、3年間夢中になって学びました。結果、卒業コレクションで最優秀賞を受賞。雑誌取材を受ける等、14歳の私が思い描いた以上の、貴重な体験の連続でした。
経験を今、これからに
新卒で東京のアパレルに。1年目は販売が必須で、企画職の私も店舗に立ちました。相次ぐ出店で本職に戻れず3年が経ち、改めて私は生産現場の近くで服作りがしたいと思ったんです。そこから、私が理想とする環境が地元にあると気付いて帰郷。縫製会社で工業用パタンナーとして2年勤めた後、文具メーカー「ユナイテッドビーズ」に初の服飾デザイナーとして迎えられ、26歳で企画職に就くことができました。ここで、売れる商品をというミッションの下、企画したショルダーバッグが大ヒット。売上記録を度々更新しました。
デザイナーを目指すなら現場経験が必要と、会社に入って働くことを選んできました。対面でお客様に説明や提案をする際には接客経験が役立っていますし、使い勝手や機能等、蓄積したお客様の声は今の商品企画にも活かされています。一方、お世話になった工場が、後継者不在で閉鎖していく現状が気がかりです。いつか企画室、工場、店舗を一つに集めた会社をつくり、ものづくりの現場を人々に見せられたら。ものへの理解が愛着に、そして担い手不足の解消に繋がるよう願いつつ、まずは私ができること、周りの方々に感謝し、協力してもらいながら、思いを込めたものづくりを続けていきます。
■ PROFILE
1983年生。福山市出身。服飾専門学校「エスモードジャポン東京校」卒業。服飾雑貨の企画職等に従事。退職後の2016年よりバッグ製作を開始。2019年、「HITOSAJI」をスタート。以後、個展やイベント、ECを中心に活動
■ SHOP DATA
HITOSAJI(ひとさじ)
Instagram:@HITOSAJI maikookayama