小さいころから姉は美人で賢くて、いるだけで花が咲いているように周りを明るくする存在だった。
4つ下の私は、ごくごく普通で周りの目と姉の機嫌を伺いながら地味に過ごしていた。
母はどちらかというと私を可愛がり、父は姉を溺愛するといった、法則も生まれた。
姉はいつも私に言う。
「あんたはお姉ちゃんのいうことを聞いていればいいんだから!」
母の代わりになぜか塾も高校も大学も姉のアドバイスの元進んだ。
姉は大学を卒業して商社にはいるとキャリアウーマンになるかと思いきや、 1年で上司に見初められ結婚。
安泰の人生を歩んでいる。
二人姉妹だったが、父もサラリーマンだったので、「継ぐ」という概念もなく
好きに嫁に行けばいいからなと、姉の結婚後も私に言ってた。
私が地元の銀行に就職してまもなく母にガンが見つかった。
胃がんだった。
我慢強い母は、見つかったときはすでにステージ3で余命3年といわれた。
家のことは、その日からすべて私の担当となった。
食事、母の世話、父の世話…。
嫁に行くどころか彼氏を作る時間さえなかった。
大好きな母のために一生懸命がんばった。
なれない料理も、父の罵倒もクリアできるようになった。
姉は母の療養中の3年にお盆とお正月だけ顔を見せた。
「あんたがしっかり母さんの面倒見て長生きさせなさいよ」
姉の何気ない発破が、苦しかった。
ちょうど3年で母は他界した。
どれだけ悲しいんだろうと想像していたより
どこか安堵感があった。
なによりそれが悲しかった。
母の死後の細かいこともなんとか自分でできた。
葬儀の手配や事務的な手続き、悲しんでる時間はなかった。
母はパートの仕事をしていたので預貯金はそう多くはなかったが
それでも200万の現金を残してくれた。
あとは、自宅の土地と建物だ。
父が購入した時に、母名義にしていたのだ。
葬儀のお金は母の預金と、足りない分は父が出した。
姉はしきりに「母さん、保険とかはいってなかった?」と聞いてきたので
調べたら、生命保険にはいっていた。
姉が結婚して家を出たくらいに友人の付き合いで加入していた。
入院や手術が出る医療保険と終身保険がついているタイプのものだ。
死亡保険金は1000万円。
受取人は父でもなく姉でもなく私だった。
証券の受取人の名前をみたときに、胸がつまった。
つつましく積み立ててくれていた母の気持ちがうれしかった。
父に話すと「お前が受取人だから、もらえばいい」といってくれた。
姉に話すと、顔色が変わった。
「1000万円? なんであんたが受取人なん、相続なんだから分割しないとおかしいでしょ」と。
生命保険は、たしか法定相続人でも関係なく指定の受取人が全額もらえる。
それくらいの知識は銀行勤めの私にはあったが、姉は聞く耳をもたない。
姉は父に直談判してきた。
「あの子が1000万もらうなら、母さん名義の家と土地を私名義に変えてちょうだい。」
でも住んでるのは父と私だ。これからも父の面倒は私が見るのだ。
そんなおかしいことはない。
それなのに、姉をかわいそうと思った父は、自分の相続分の1/2の権利を
姉にあげるといってきたのだ。
もう意味が分からない。
姉は自宅を処分して現金化して、私と父は生命保険のお金でマンションにでも引っ越せばいいと言ってくる。
小さい頃の声がよみがえってきた。
「あんたは私のいうことを聞いていればいいんだから!」
だめだ。
母の残してくれた生命保険とこの家を守らないと。
そしてこれから来るであろう父の介護に備えて、きちんと平等に正しく相続をしなければ。
そして父の亡き後の相続でも揉めないようにこの機会にちゃんと父とも話しておかなければいけない。
それからすぐにあたしは弁護士事務所をたずねた。
勤め先の紹介で“相続トラブルに強い“と言われている
小笠原先生を紹介してもらった。
一人では姉に負けてしまう。
絶対的な強い味方が必要だった。
小笠原先生は、『せとうち中央法律事務所』という弁護士事務所にいた。
3人の先生が在籍している事務所で、若松町にある、わりと新しい建物だった。
初めて弁護士の先生に会うので、事務所がどんなところか、ドキドキした。
事務所はビルの5階だった。
インターフォンを鳴らすと、女性の方が出て、施錠が解除された。
エレベーターで5階に上がるとすぐに入り口があった。
ここだ。
入ってみると、何だかカフェのような明るい雰囲気で
木や植物に囲まれていて、とても落ち着いた。
何となく暗くてお堅いイメージを勝手に持っていてけど
想像とは違って、明るくてお洒落で、安心した。
事務員の女性の方に案内されて、奥の相談室に入った。
明るい雰囲気だけど、しっかりとプライバシーは確保されていて、
周りの目が気になったりすることもないし、ほっとした。
しばらくすると小笠原先生がきた。
若い男性の先生で、物腰柔らかい雰囲気だった。
相談にも親身に耳を傾けてくれ、優しい雰囲気だが、
しっかりと道筋を立ててくれ、頼れるような感じ。
相談料や着手金、成功報酬のお金のことなども
きちんと説明してくれ、安心できた。
弁護士に頼むとめちゃくちゃお金がかかりそうと勝手に想像してたけど
意外とそんなことはなかった。
そして、半年がすぎた。
小笠原弁護士の先生のおかげで
生命保険の1000万は全額受け取れ、
自宅の名義は土地と建物も私になった。
姉が本来もらえる相続分、家と土地の評価額の1/4は父が姉に現金で払ってくれた。
先生は、母をずっと介護したことも姉を説得する材料に使ってくれて
父の財産も事前にオープンにして、 家族信託という提案をしてくれた。
父も自分の面倒をみてくれる私に対して、先生の提案を受け入れてくれた。
そして遺言もちゃんと書いてくれた。
もちろん執行人は小笠原先生だ。
姉も最後には納得してくれた。
小笠原先生が相続人である姉に相続開始の通知の連絡を入れたときに、姉がポツリと言っていたそうだ。
「妹はいつのまにか、私のいうことを聞かなくても立派になっていました」
と。
母さん、私負けなかったよ。
私の周りにも一瞬パッと花が咲いたよ。
姉のような高い鼻ではないけど
私の鼻もすこしの伸びたんだよ!