少子高齢化に伴い、田舎の住人が減少し、ご先祖を祀る責任者がだんだん少なくなり、又血縁に対する後継者としての責任感が少なくなり、墓仕舞いが時代の流れとして出てきています。時々耳にする「次の世代に迷惑を掛けたくない」は自分本位で短絡的な発想で好きになれません。人生を真剣に考える中での、家族の事情が重なり、墓仕舞いは容認しなければならないこともあるのでしょう。
家族を大切に思い、亡くなった家族を大切に思う気持ちを形にしたものがお墓です。見えない故人を、存在するものとして大切に守り、残された者の心を癒す働きがあります。その存在を無くすことは大変な決断が必要なものです。
安直に、世間の風潮に流されるのではなく、真剣に「生きること」に向き合い、その中で家族を思う心が大切なのです。
以前に、都会で親族の不幸があり、お世話になっていたマンションの管理人と話を交わすことがありました。その方は、「私は葬式も墓もいらない。私が亡くなったら、生ごみで捨ててもらっても結構」と話されているので「では、あなたのお孫さんが亡くなったら、あなた自身の希望と同様、お孫さんを生ごみで出しても良いのですね」と問いました。すると、「それはダメです。大切に見送りたい。私は少し短絡的にものを考えていたようです」と話されました。家族にしたいこと、してもらいたいことを、世代を超えて丁寧に考えるべきだと思います。
終活も同様です。一生懸命生きた者が、後継の迷惑にならないよう、身近に有る不要なものを片付けるのは大変良い事ですが、勢い余って個人の生きた証や、大切な物を容赦なく破棄・処分することは個人の尊厳を大切にしたことにはなりません。個々人を大切にする心構えを忘れないようにしましょう。
隣の人がやるから同じことをするのではなく、真剣な生き方をし、そのことを尊重するのが供養の形だと思います。
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むらかみ先生の『ひなたぼっこコラム』
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<自己紹介・人間関係の潤滑剤>
最近、身内の法事がありました。数十年ぶりに会った当時の少女が、時を経て大人になって再会しました。久しぶりに遠縁の方に会って「参列した親戚の方々の事を良く分からない」と申し出るので、自己紹介タイムを作り、お名前と、故人との関係を確認する時間を作りました。
そのおかげで、お互いの関係を了解でき、法事は和やかな時となったようです。著者が関わる会合で、新しい人が参加されるときは、会合進行の中で、極力自己紹介の時間をとるよう心がけています。お互いに名前を名乗り、声を発することが、人間関係を築く最初のマナーで、大きな潤滑油になるように思えてなりません。