我が家の仏壇はとても小さい。
友達の家に遊びに行くと、大きな金ぴかのそれがあったり、
真っ黒で静かな光を放っている今の私の身長くらいの高さのそれもあった。
我が家の仏壇はみかん箱くらいの大きさで、扉も壊れてて閉まらないし、
昔は黒?だった木は剥がれてボロボロになってるし
なんだか、仏様が可哀そうだなって思っていた。
「ねえ、どうしてうちの仏壇は小さいの?お友達の家は、みんなね 大きくてね、綺麗でね、
凄いんだよ」
母は、我が家は転勤族だから大きな仏壇は引っ越すのに大変だし、うちは大きなのを買う
お金もないしと教えてくれた。
そういえばうちには車もない。でも、仏壇の何倍も大きな真っ黒でピカピカの
妹のために買ったピアノは、引っ越しの度にとっても大変そうに移動されていくし
なんとなく、お金がないと買えそうもない代物だった。
でも、ボロボロの仏壇には、いつもお花があったし、毎朝炊きたてのご飯をよそって
お供えしてみんな手を合わせていた。
「もっと大きくてきれいなものに、なりますように」
私の願いはいつもそれだった。
信仰心が強かったわけでもない、ただ、友達に見られるのが恥ずかしかったし
きっと、それだけだった。
オトナになって、それも40代前半のころ70代の父が死んだ。
その時、初めて今度は「お墓作り」というものに、直面したのだ。
我が家のお墓は、広島の山の奥の車で福山からでも2時間くらいかかるところにあった。
お墓参りのたびに、電車とバスで乗り継いで、坂道を上がり夏は汗だくになり
冬は凍えそうになり、家族でお参りしてた。
父も母も若い時は車に乗ってなかったけど、なぜか50代で免許をとって車も小さなのを乗っていた。
「車でお参りに行かないの?」と聞くと
「運転が上手じゃないから危ない、電車の方がみんなでおしゃべりできるしいいでしょ」と答えてくれた。
父が死んだとき、小さな仏壇と遠いお墓が頭に浮かんだ。
このまま、あの遠い山のお墓に納骨して、この小さなもう居場所がないような
仏壇に位牌を置くんだ・・・
「ねえ、かあさん。仏壇とお墓、新しくしてもいいかな」
母は、すこし悲しそうに、それでも信じてる目をして、
あなたの好きにしなさいと
いってくれた。
それから私は、貯金通帳とにらめっこをしながら、夢をみた。
お墓の石の種類についてたくさん調べたし、福山の墓地もさがした。
仏壇もお店に行ってたくさん見て。
お墓は引っ越そう。もっとお参りのしやすいところに、そして立派なお墓をたてよう。
仏壇も大きなのに買い替えよう。
そう思った。
そんなとき、出会ったのがあの人、そうムラカミさんだ。
ムラカミさんは、福山で墓地を売ったり管理したりしている人だ。
でも、うさん臭くない。ふつうのおじさんだ。いや、60代でバドミントンをバシバシしてるし、荒修行の山登りもするちょっと普通じゃない人だ。
春のお花見に誘われていったのが、ムラカミさんの持つ墓地だった。
桜とお墓? と思いながら友達と福山の南部箕島へ向かった。
そこは、高台で見晴らしがよく、桜が出迎えてくれるように咲き並んでいた。
たくさんの人が、楽しんでいる。
畳を貸してもらって、お接待ということで、お菓子や飲み物もいただいた。
ムラカミさんは、私のところに来て
「よく来てくれました。ここは、氣がよくて吉相墓が沢山あるところです。ゆっくりしていってください」
とそれだけ言って行ってしまった。
氣?吉相?
そういえば、お墓がいっぱいあるのに、気持ちいい。
深呼吸できる場所だ。
気になった私は、ムラカミさんを追いかけた。
初対面なのに一気に話した。
小さい頃の悔しかった仏壇の話、父が亡くなって大きなお墓をたてたいと
計画していること・・・・
ムラカミさんは全部話を聞いてくれて、教えてくれた。
墓地の事、お墓のこと、供養のあるべき姿について。そして母の愛情。
夢だった大きなお墓は、小ぶりで品の良いお墓になり、家の近くの日当りのいい、水はけのよい爽やかな風が吹く、墓地に引っ越した。
仏壇は、そのまま修理をして塗りなおして金箔をはってもらって、甦った。
父の位牌は狭そうだけど、にぎやかで明るくなってきっと喜んでいる。
ムラカミさんは、
我が家のボロボロで小さな仏壇をほめてくれたし、
大きな墓や仏壇が供養の気持ちに比例するんじゃないことや
秩序を持った良い生き方をすることを教えてくれた。
家の家系図を手がきで書いて、最後には人生相談みたいになったけど
だからこそ、いいお墓が作れた。
我が家のお墓と仏壇は、とても小さい。
でも、もう悩まないし、うらやましがらない。
そう、今日も背筋を伸ばしてお参りするから、それでいいんだ。