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備後 長久山 妙政寺

084-923-6917


2020.11.4

水野勝俊公とその菩提・妙政寺




2022年は福山城築城400年。
建立した水野勝成公を支えながら、歴代藩主とは離れた妙政寺に眠っている2代・勝俊公。
その経緯や業績に迫りながら御正室との時を超えたロマンにも触れ、信仰を集める現在も紹介する。


 「鞆殿」と呼ばれた勝俊公は、暴れん坊の名君だった?

槍の名手・勝俊公をイメージ。妙政寺がティンク株式会社に依頼して作成

 鞆にも居住したことから、「鞆殿」と呼ばれた水野勝俊公は、備後福山藩の第2代藩主。
 初代藩主・勝成公の長男として、慶長3年(1598年)に備中国成羽に生まれた。

 徳川秀忠に仕え、慶長14年11歳で美作守に叙任。
 幼い頃から父にしたがって動き、大坂冬・夏の陣には勝成と出陣し、夏の陣では真っ先に殊功をあげた。

 元和5年(1619年)に勝成の福山入国に従い、鞆の津へ。海南を鎮護する任に当たった。
 島原の乱における原城総攻撃では、勝俊の軍が一番乗りを果たすなど、戦国一ともうたわれる〝暴れん坊〟で知られた父・勝成に劣らぬ武勇の士とされる。能楽や俳諧を好んだ一面もある。

 一方、福山城下が火災で焼失したときには家臣に、再建を急がせて町人に迷惑をかけぬよう命じ、度重なる不作の折には、資金の貸与や年貢の減免などの救済策を講じるなど、領民にも手厚かった。臣下には倹約をすすめたが、勝俊の死に際して家臣7人が殉死するなど人望もあった。
 
 勝成公が長命であったため、その晩年の実績や事業は実質上、勝俊公が動いていたとの説もあり、今後の検証が待たれる。 




なぜ2代藩主だけが妙政寺に?

   初代藩主の勝成公とその父忠重公、3代、4代、5代藩主は曹洞宗の賢忠寺が菩提寺だが、なぜ勝俊公の菩提寺だけが妙政寺なのだろうか?

 そもそも福山城の北に位置する備後長久山 妙政寺は天正年間(1573年〜)、今の愛知県刈谷に建立され、水野家の国替えで移転した日蓮宗のお寺。
 勝俊公は生前に、息女・万寿姫の病疾全快の祈祷を同寺に命じており、雨祈祷等の霊験により平癒したことから、勝成公の許可を得て自ら改宗して大檀那となっていた。
 
 このため、勝成の死後から4年後の承応4年(1655年)に江戸藩邸で死去した際、妙政寺に葬られた。


 妙政寺縁起はこちらから▶︎ 




勝俊公夫妻が350年以上の時を超えて〝再会〟 ?

水野勝俊公肖像と御正室の肖像(妙政寺蔵)

行方不明の御正室、都内で発見
 関東大震災以降、所在がわからなくなっていた勝俊公の正室で、於若と呼ばれたとされる九鬼長門守息女の遺骨が、2013年に東京都の多摩霊園で見つかった。

 御正室は、勝俊公が天寿を全うした7年後の寛文2年(1662年)に亡くなり、夫とは別に、江戸深川霊岸寺に葬られていたが、関東大震災により寺院が倒壊後、水野家の墓地がある同霊園に移されており、納骨時に偶然見つかったと考えられる。

  福山に訪れたことはない方のようだが、2016年に勝俊公の菩提寺である妙政寺に、宇根住職や水野家20代当主・水野勝之さんらの手で夫の元へ〝お連れ〟した。2018年に、勝俊公のすぐ隣に納骨、改葬されている。そして今年の10月11日、令和の大改修落慶法要にて魂入れが行われ、350年以上の時を超えて、夫婦が再び寄り添うこととなった。



プレスシード 2018年12月28日号(御正室の納骨)



勝俊公の隣に寄り添う
 妙政寺の墓所は、同寺からすぐの市史跡指定「水野美作守勝俊公御廟所」。
 御正室は、一番奥にある勝俊公と万寿姫の間に安置された。
 
 一昨年の改葬、納骨時には、住職が円柱形の骨壺の蓋をとって檀家などで確認し、新たに設えた由緒が書かれた骨箱へすっぽりと納めた。その後クレーンを使うなどして総重量約5㌧、高さ約3・5m(勝俊公の墓は約5m)の五輪塔型とした。宇根住職は「これで勝俊公と御正室、おふたりの菩提寺となりました」と静かに手をあわせていた。 


完成した御正室の墓石




特大の位牌完成/令和の大改修全貌は?

二九世慈尚院日祐上人・宇根海静住職と、御正室の位牌(中央)


超絶技巧、府中の職人による約1mの位牌
 平成20年頃から計画がはじまり、足掛け10年を優に超える、平成・令和の大改修。
 回廊(長廊下)で本堂と接続された位牌堂には、巨大な超絶技巧の位牌が並ぶ。右奥が勝俊公、中央が御正室のもの。製作は、府中家具の館 ぶつだん館(府中市中須町)。従来1m以上の位牌は京都で作られてきたが、なんとか地元でとの思いに応えて家具職人が立ち上がり、2年近くかけて美しく仕上げた。



福山城と同じ木材で建立した本堂改修など
 平成の大改修は、東西30mもある本堂の屋根瓦約4万枚を葺き替えるなどした大掛かりなもの。
この本堂の木材は、勝成公が福山城建設と同じ時期に集めた木材が使用されており、福山空襲などの戦禍を免れた貴重な財産ともいえる。
 落慶法要では稚児行列が練り歩くなど、盛大に行われた。

 令和の大改修も、御正室の墓石と大位牌建立、本堂と位牌堂をつなぐ長廊下だけにとどまらない。
 本堂のメンテナンス用に天井裏へ続く階段設置、同寺から墓地へまっすぐ伸びていたとされる参道の復元、永代供養堂周辺整備などがこれまでに完成している。


ぷれすしーど2015年10月30日号「平成の大改修落慶法要」



本堂の襖絵(左は宝塔十界絵曼荼羅



本堂メンテナンスのため、天井裏へ上がれる安全な階段を設置

ぷれすしーど2020年5月1日号「令和の大改修落慶法要」


改修は百年がかり⁉
 平成、令和にまたがる大改修は、現代に調和した進化をしながら、いまだ真っ最中。
 
 現代らしさでいえば、御正室の位牌を勝俊公と同じ高さにして男女の垣根を低くし、令和の大改修落慶法要は、伝統の仏具と洋楽器を使った仏教音楽で彩った他、勝俊公を現代風にアレンジしたキャラクターの記念品を作るなど画期的。
 

令和の大改修落慶法要で、音楽を奉納する「なみ☆ゆり」さん

布バッグやクリアファイル、絵ハガキなどのオリジナルグッズを作成。

 そして、これからまだ着手する事業もある。
 山門や鐘楼堂、仁王門の修復、中庭に昔建立されていた皇室ゆかりの茶室復元。
 さらに、宇根住職は京都達師法縁 縁頭本山の筆頭参与や末寺の蓮瑞寺(大門町)福山最上教会(東桜町)住職を兼任する広い目を持ち、「最終目標は、平和を象徴する高さ50mの木造五重塔建立と備後福山のテレビ局開設です」と地域の未来も見つめている。


Shop Data

店名:備後 長久山 妙政寺(みょうしょうじ)HP

TEL:084-923-6917

住所:福山市北吉津町1-6-7

交通:福山駅から徒歩約7分

カード:

駐車場:有り(約300台)

 



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