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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2020.4.9

異業種リレーの「わ」No.683 ビリ軒水産 代表 島田 國三郎 さん

今回は、「湯浅整骨院・鍼・薬局」開設者、湯浅 光範さんのご紹介により、「ビリ軒水産(福山市宝町3-6 TEL:084-923-0820)」代表、島田 國三郎さんに登場願いました。

病院食・介護食を専門とする大正創業の鮮魚店

 

来秋100周年

 ビリ軒水産は大正10年に祖父が創業した、福山でも数少ない約100年の歴史を持つ魚屋です。私は3代目として20代後半で父から受け継ぎました。取引先は、市内の病院と介護施設限定です。各施設の栄養士が考えた献立に合わせて、調理場の人が調理しやすいように、私が一人で様々な魚をさばいて届けています。毎朝3時に起きて市場で鮮魚を仕入れ、店に戻って切り身にします。配達も含め、全ての業務は昼前に終了するため、日中は得意のソフトテニスを生かし、福山平成大学で監督もしています。

 仕事の拠点は宝町ですが、引野町の卸売市場の一角に小さな売り場を置いて、わずかではありますが、先代からのお客さんの対応をしています。また、市場の敷地内で「喫茶 ビリ軒」も運営しています。父が自分が好きなコーヒーをいつでも飲めるように始めたもので、もうすぐ50周年。開店以来マスターは変わらず、当社の男性スタッフが務めており、コーヒーと軽食を提供しています。


社名が最大の武器

 社名は創業時、居抜きで店を構えた時に、店舗と一緒に名前ももらったと聞いています。ビリケン像が注目された時代ですから、ゲン担ぎの意味合いもあったのかもしれません。小さな魚屋から始まり、戦時中は近くにあった陸軍練兵場や陸軍病院にも配達していたそうです。戦後は父が営業手腕を発揮し、取引先は全国に広がりました。今でも「おたくの竹輪をよくお客さんの所に持って行っていた」と年配の方に言ってもらえるほど、柱の1つになっていた練り物の製造・販売部門は、現在は従兄弟が有限会社ビリ軒として引き継いでいます。

 私は小学生の頃から店番をしていましたが、包丁さばきは学ばなかったため、30歳頃から料亭の板前さんや魚屋をしていたおばなどに教わり、必死で練習しました。最初の頃は納品時間に間に合わず、取引先に迷惑をかけ、苦い経験もたくさんしました。

 医療・福祉施設の食材に特化し始めたのは30年ほど前からです。アドバイスしてくれたのは地域の古老でした。これからは今以上に食からの健康づくりが見直され、魚は絶対に欠かせない食材になるぞと。確かに、病院から毎日一定数の発注があると実感していたので、徐々に一般への販売を減らしていきました。この時、比較的スムーズに施設との取引を増やすことができたのは、戦時中から病院に鮮魚を配達していた実績をはじめ、祖父と父が堅実な商いをして「ビリ軒」の信頼を築いてくれていたからです。


魚が健康を支え続ける

 病院・介護食に特化し始めて、作業の手間は3倍に増えました。口の中に引っかかるものは徹底的に外すことが鉄則ですから、小骨も全てピンセットで抜かなければなりません。ニーズとしては、骨の少ない魚が人気で、栄養士さんが若いほどその傾向は強いです。最近では発注書を見ただけで、栄養士さんが変わったことがわかるようになりました。

 魚は老若男女の健康を支える食材です。栄養バランスを考えた献立から消えることはないので、これまで〝魚離れ〟を感じたことはありませんでした。しかし、「魚が獲れない」という想像だにしなかった事態の影響は受けています。全体的に漁獲量が減っているため、ずっと天然の魚にこだわってきた当社でも、養殖や冷凍物の魚も扱うようになりました。幸い、保存や調理の技術が発達したので、おいしい魚は生でなくても食べられます。ですが、絶対数が足りていないことへの不安は拭えません。

 この30年で病院・介護食は見た目も味もずいぶん洗練され、多国籍化しました。調理はホテルの元料理長が担当している施設も少なくないです。企業努力として、魚の新たな魅力を引き出す献立も考案されてくるでしょうね。私も色々な視点から物事を考え、求められることに対応していきたいと思います。



異業種リレーの『わ』

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