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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2019.4.26

異業種リレーの「わ」No.650 株式会社小野建設 専務取締役 小野 義紘さん

今回は、「河本石材」代表、河本好則さんのご紹介により、「株式会社小野建設(福山市芦田町福田甲2267 TEL:084-958-3142 )」専務取締役、小野義紘さんに登場願いました。


求められたら応える。運送業から解体・建設業へ

 

…「依頼は断らない」家系

 1963年創業の弊社は現在、新築の基礎工事業や一般家屋解体業、リフォームの内装解体などに携わる建設会社です。祖父が創業した当時は、実は全く違う運送業としての出発でした。

 もともと小野家は広い田畑と山を所有する専業農家でした。ちょうど日本経済が発展し、建築業も黄金期と言われた時代のことです。祖父は畑や山の土を売って商売をしようと考え、運送業許可を得て、「小野運送」として藁と赤土を練り合わせた壁土や採石場で砕いた石などの建築材料を、祖母と2人で運んでいたんだそうです。やがて周りからの依頼で、住居解体の仕事を開始。掘削用の重機や建材を運ぶトラックが役に立ちました。そして、整地したついでに新築の基礎工事も…と、これも人から頼られて始めたそうで、これが現在の仕事の元になっています。

 祖父はとにかく人を大事にするタイプで、頼まれたことは断らない人でした。何でも引き受け、我流ながらもやりきってしまうものですから、「あの人に言えば何とかしてくれる」と思ってもらえる存在になっていたのでしょうね。そんな祖父は現在94歳、まだまだ元気ですよ。〝断らない〟遺伝子は2代目の父もしっかり受け継いでいたようです。3代目の私もそうありたいと意識しています。


…妥協を許さない精度が習慣に

 幼い頃から壁土作りを手伝っていた私にとって、家業を継ぐのは自然な流れでした。ただ、外の世界を知ってからと思い、広島市内の工業専門学校を卒業後、広島の土木会社で2年間鳶(とび)職の経験を積み、その後、福山の型枠大工会社で高層建築物の工事に8年携わり、ミリ単位の精度を追求する習慣を身に付けました。

 なので、30歳で戻ったとき、感覚頼りの測量方法に愕然としました。当然ながら基礎工事に関する外部評価は低く、このままではダメだと痛感し、施工方法を見直すため社内で話し合いを重ねました。精緻な作業の徹底はハードでも、続ければ習慣になり、信用につながります。「もし自分がお客様だったら?元請け様だったら?」そう社員らに訴え、時間やコストがかかっても、とにかくやろう、やるしかない! と決めました。その後は必要な精密機器を買い揃え、全員で同じ目標を胸に試行錯誤。材料の質や扱い方にもこだわり、今では、どんな難しい基礎設計でもお客様に満足していただける自信があります。

 解体に関しては、3年前の法改正で建設業の許可業種に「解体工事業」が新設されたことで、誰でも気軽に解体できなくなり、さらに需要が増えました。弊社には必要な許可や資格があり、長年培ってきたリフォーム解体などのノウハウもありますから、「天井は残して壁は崩してほしい」といった個々の要望にも対応できます。


…人を、ご縁を大切に

 1990年に一般建設業の許可を得てからは、解体と基礎工事を主事業に、運送の仕事はほとんどしていません。しかし、社名のほうは一昨年まで「小野運送」のままでした。それでも、多くの方に建設会社として必要とされてきたのは、たくさんのご縁があったおかげです。本当に感謝しかありません。最近では県外からも受注が入るようになり、社員も2人から5人に増えました。これからもお客様の依頼を受けてすぐ動けるように、社員一同切磋琢磨し、頑張っていきたいと思っております。

 今私は、地元の消防団の分団指導員と商工会青年部副部長の両方の役を受けさせていただいています。仕事との両立は大変ですが、地域に貢献でき、人とのつながりを持つことで、自分自身の成長にもつながると思っています。祖父や父と同様に、「できることは何でもやる」という精神で頑張っています。これからも、「人を大事にする」という祖父の信念を軸に、社員とともにより一層技術を高めていきたい。そして、小野建設を多くの人の心に残る会社に育てたいです。



異業種リレーの『わ』

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