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2017.10.25

近大附属福山中 3年143人が事業所体験学習 プレスシードでも取材〜配送体験

 近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校(佐波町)の中学3年生が、10月18日と19日の2日間、事業所体験学習を行なった。

 同校は、中学3年時に事業所体験学習を実施しており18年目。
 今年は143人が、将来希望する職業に近い60事業所に分かれて体験した。

 プレスシードへは、「地域の情報を知って、将来、地域に貢献するという夢への第一歩を踏み出したい」という松本飛翔君と、「情報を分かりやすく伝えられる記事を書けるような人になりたい」という森保優斗君が訪れた。

 初日は、配送部からスタート。印刷所からトラックで届いた10月20日号「地域情報紙ぷれすしーど」を、配布員のエリアごとに振り分ける作業や広告の折込み作業も経験してもらい、即戦力で活躍した。

 その後は、記者とともに市役所を訪れて文書で寄せられる情報提供に目を通し、読者に届けたい地域ニュースの選択を考えた後は、実際に取材現場へ。(秘かに、福山城築城400年記念事業キャッチフレーズ候補の投票も)。
 
福山市鞆の浦歴史民俗資料館では、通堂博彰館長にインタビュー。名刺交換をしながら自己紹介した後、「鞆の宝は何だと思いますか?」と質問を投げかけて約1時間熱心に聴いてメモを取り、館長の写真撮影もした。

 「ともがたり〜4人が語る鞆の宝〜」記事はこちら





 その後、曇天ながら資料館のある鞆城後から眺める鞆港の撮影と、「日東第一形勝」で知られる福禅寺対潮楼へ。柱を額縁に見立てた撮影や、船の来るタイミングを待っての撮影を試みた。


 この日は「平成いろは丸」とその航跡、背後に弁天島というアングルを狙ったが、朝鮮通信使船を模した先代のメイン船「第二弁天」がメインで動いている時間帯にあたり、そちらの撮影をした。


 翌日は、自分たちが撮影した写真を選定し、インタビューメモを元にキーワードを抜き出して…、ここまでの予定だったが非常に順調に課題をクリアしてくれたので、文章例を示した後で原稿も書いてみてもらった。(2人の記事は、ページ下に掲載)

 制作部では、選定した写真をトリミングして、専用ソフトを使って紙面へ配置するなどした。

 最後に営業部から、会社全体の仕組みやそれぞれの部署が1つの発行物に対して果たす役割・使命感を伝えた。

 2日間の体験を終えて松本君は「色々な部署の人が次の部署の人につないでいる。働いてくれている家族にも改めて感謝しました」。森保君は「一人ひとりが力を出してものを作り、大きな仕事を果たしていることに感動しました。一つのことに夢中で取り組む仕事をしたい」と話していた。

 今後いろいろな職業を目にし体験もしながら、自分の仕事を見つけていくであろうふたりに、どうぞ素晴らしい未来が訪れますように!


福山市鞆の浦歴史民俗資料館 館長 通堂博彰さんが語った「鞆の宝」


●「自然が与えてくれた天然の良港」(松本君の取材メモと原稿)

 

 鞆の宝は潮待ちの港だと思います。そのわけは、瀬戸内海の真ん中にあり、館長と満潮の差が4もあり、潮の流れが激しく、江戸時代の帆船で潮に逆らって行くと時間があまりにもかかりすぎるため、潮の流れに沿って船を出すので鞆で潮を待っていた。なので情報も飛び交い鞆は商人の町として栄えた。
 また、足利尊氏は鞆で院宣をもらい体制を立て直し室町幕府を開き、その後15代足利義昭は毛利家を頼り鞆に逃げて来て死んだため、室町幕府は鞆で起こり鞆で滅んだという学者が居るのはこれがゆえんである。ほかにも坂本領万御いろは丸等が沈没したり、歴史上の有力な人たちが寄るほど重要な場所だった。それには自然が恵んだこの土地ならではの地形からなっている。なので私の宝はこの地形です。
 鞆を巡るなら裏道をおすすめします。徳川院?や西町の裏路地などが個人的におすすめです。知って行っただけでおもしろさが何倍にもなるので、ぜひ行ってみてください。


●おもちゃ箱をひっくり返したような面白さ(森保君の取材メモと原稿)


 昔、交通手段としてよく使われていたのは帆船でした。帆船を利用する際に最も楽なのは、潮の満ち引きを利用して進む方法です。瀬戸内海では島が少ないため館長と満潮の差が4mと激しいため、満潮時に鞆に向かいやすく干潮時には鞆から遠ざかっていきやすくなります。なので、逆に言えば満潮時には鞆からとおざかっていきにくく干潮時には鞆に向かいにくくなります。そのため、鞆で荷物を下ろして船乗りは休憩をします。その際に船乗りたちは色々な場所で起こったできごとを話したり伝えたりするので最先端の文化を誇る土地になっていきます。
だから、私は鞆の宝は潮待ちの港、鞆の浦が残してきた面白さだと思います。
 今、私は宝探しをしています。宝は目に見えないものでは「面白さ」ですが、目に見えるものでいうと「絵図」です。鞆城の絵図は、1959年、昭和34年確認されています。実際に中国新聞にも記載されています。これが、もし発見されるとなると鞆の宝物の中にまた1つ加わることでしょう。鞆の浦という場所は、歴史があって雰囲気もある町です。そういう歴史を知って歩くのも面白いと思いますよ。





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