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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2016.5.26

異業種リレーの「わ」No.545 株式会社森山仏商 常務取締役 森山 信弘さん


今回は、「有限会社東洋自動車商会」代表取締役、佐藤 公泰さんのご紹介により、「株式会社森山仏商(福山市神辺町平野368 TEL.084-962-3108)」常務取締役、森山 信弘さんに登場願いました。

 

想いを叶える、様々なスタイルの葬儀を
真心込めてお手伝いさせていただきます!!

…何ごとも楽しむ精神
 神辺生まれの神辺育ちです。2歳と5歳はなれた弟と妹の三人妹弟の長男です。幼少の頃は落ち着きのない子どもだったと聞いています。鬼ごっこやかくれんぼをして外で元気に遊んでいました。もの心ついたころからスイミングスクールや習字教室に通っていました。小学校では夏期限定ですが町内のソフトボールに夢中でした。Jリーグが開幕したばかりの時期でもあったので3・4年の時にはサッカー教室にも通っていましたね。6年生の時には少年野球のチームにも入部しました。目茶苦茶恐い監督でした。私のポジションはショートでトンネルをすると呼ばれてケツバットをされた思い出があります。チームワークが要になる球技が大好きでした。好きな授業は体育、勉強は好きではありませんでした(笑)。一番思い出深いのはやはりソフトボールですね。ピッチャーとショートでクリンナップでした。最後の最後にキャッチャーもやってみたいと思いチャレンジしましたね。何ごとも、どうせやるなら挑戦して楽しみたいと、いつも思っていました。中学では「野球はもういいかな?」と漫画のスラムダンクの影響でバスケットをやろうと思いましたが、学校にはあまり来ないのにクラブは皆勤賞のやんちゃでかっこいい先輩がいて、その人のスパイクを見て感動!先輩の誘いもあってバレー部に入りました。顧問の熱血先生も大好きでしたね。社会科の先生で、誉められたい一心で社会とバレーだけは真面目にやっていました。えっ!女の先生かって?いいえ、男の先生です(笑)。バレーでレシーブやトス、スパイクが綺麗に決まるとメチャ気持ちいいですよ。あの爽快感は今でも忘れられません。県大会にも何度か出場しました。友達に誘われて中2からドラムの教室にも通いましたが、バレーボール一筋の中学校生活でした。高校は地元の公立高校を第一志望にしましたが、担任の先生から難しいからランクを落とすように言われました。難しいとか無理だとか言われると燃えるタイプでしたね。知り合いの家庭教師を頼んでの猛勉強が始まりました。あんなに勉強したのは生まれて初めてでした!「やってやれないことはない」を実学。なんとか志望校に合格できました。高校ではクラブを色々体験しましたがどれもシックリせず。結局、帰宅部でした。アルバイトとバンド、バイクにハマッた高校時代でした。勉強はガタガタでしたが、追試に補習、補習に追試でどうにか卒業できました(笑)。

 

…天職との出会い
 将来、実家の葬祭業を継ぐ気は全くありませんでした。そんな私に母が「後は継がなくてもいいから、今やりたい仕事が見つからないのなら、とりあえず冠婚葬祭の学校に行き、都会で一人暮らしをしながら考えたら」と言われ、神奈川の学校に入学しました。刺激と感動の毎日でした。そして、この仕事の素晴らしさと自分の使命に気づきました。この仕事をうわべだけで見て批判していた自分が恥ずかしかったです。卒業後は呉市で№1の葬祭会館に2年間の修行の約束で入社させていただきました。しかし、2年ではやっと担当者レベルの仕事が覚えられただけでした。「もっと深く学びたい」そこには、もう1年だけ居させてくださいと延長を申し出ていた私がいました。3年間の修行を終え、2006年に森山仏商に入社、まだまだダメな自分との戦いでした。甘えから愚痴をはいたこともありました。父や母の仕事を見ながら、手伝いながら一所懸命学びました。様々な宗派の葬儀を任せていただきました。2009年には「ギャラリー道」2011年は「ファミリーホール」そして昨年は「アークハウス」の立ち上げに携わらせていただき、沢山の気づきと学びをいただきました。振り返れば、会員様や地域の方々、異業種の仲間、そして、スタッフに支えてもらいあっと言う間の10年でした。これからも初心を忘れず、想いや環境、状況に応じた様々なスタイルの葬儀を真心込めてお手伝いさせていただきたいと思います。そして、生きていた感謝をあらゆる人に込める、おおらかな「感謝葬」の発信をして行きたいと考えています。


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