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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2016.4.8

異業種リレーの「わ」No.540 株式会社日野折箱店 代表取締役社長 日野 貴文さん


今回は、「株式会社明和」代表取締役社長、藤井 利彦さんのご紹介により、
「株式会社日野折箱店(福山市明神町1-3-7 TEL.084-922-3837)」
代表取締役社長、日野 貴文さんに登場願いました。

 

「三方良」の経営で社会から必要とされる
折箱のプロフェッショナルに!!

…幼少のおもいで
 福山の神辺で生まれ育ちました。姉と弟の3人姉弟の長男です。そんなにおとなしいわけではありませんが目立って活発な方ではなかったと思います。普通の子どもだったと思いますよ。山に囲まれた地域で遊ぶ場所には困りませんでした。毎日、外で元気に遊んでいました。遊びに夢中になり過ぎバイクにはねられたことがありました。怪我はたいしたことはなかったのですが、買い物帰りのカブで積んでいた一升瓶のサラダ油が割れて私は油まみれになりました。幼少の頃といわれて一番に出てくる笑い話ですね。ファミコンですか?ブームの始めで誰もが持っているわけではなかったですね。買ってもらった友達の家に遊びに行った記憶はありますね。小学校は片道2kmを歩いて通いました。サッカー、フットベースボール、ドッジボールが流行っていました。学年が上がると町内のソフトボールも始まります。遊びはフットベースボールで町内のソフトボールもやりましたが、どちらともあまり得意ではありませんでした。物を作ったり絵を描くことが大好きでした。カッターナイフをこっそり持ち出して何かを作ろうと段ボールを切っていて大怪我をし、手を5針縫ったこともありました。絵や工作で何度かコンクールに入賞したこともありました。勉強ですか?好きではありませんでしたね。成績は中の中、普通でしたね。

…今の自分があるのは
 中学に上がると友達か先輩に誘われ柔道部に入部しました。やる以上は一所懸命頑張ろうと自分なりに決意しての入部でした。練習も上下関係も厳しかったですが頑張りました。身体があまり大きいほうではなかったので不利感はありましたが相手の懐に潜りこんで技をかける背負い投げを磨くため練習に励みました。県大会で必ず決勝戦に名を連ねる強くてかっこいい先輩がいました。憧れの人を目標に頑張りました。最終的に私は県でベスト16位には入れたと思います。暇があればファミコンゲームもやりましたが柔道一筋の3年間でした。高校でも柔道を続けたいと思い、柔道が強い岡山の高校に入学しました。この頃のことですから厳し過ぎる過酷な練習に先輩のシゴキは当り前。極めつけはOBの理不尽に近い指導。退部していく者もたくさんいました。一度決めたら何があってもやり抜く、投げ出すのは反則。というのが私の持論。持ち前である切り替えと立ち直りの早さで何とか頑張りました。朝練から始まり、休み返上で毎日ヘトヘトでした。授業中は疲れて寝ていましたね。お陰様で県内では10本の指には確実に入り、試合では「日野とはあたりたくない」と他校から嫌がられる存在にまで成長できました。そして、今の自分がこうして頑張れるのも、今ではありえない位に厳しすぎる柔道部があったからです。改めて感謝ですね。

…三方良の経営
 卒業後はすぐに父の会社に入社しました。現場と営業の10年間は会社と業界のことを徹底的に学びました。それからの5年はお客様や業界、異業種の方に様々な情報をいただき商品開発や立て直しに奮闘。次の5年は専務として経営のいろはを学びながら経営を引き継ぎました。そして2015年9月に代表取締役に就任させていただきました。今年2月にはここ明神町にご縁をいただき新社屋を建て本社を移転させていただきました。振り返れば、いろんなことがありましたが、お客様や取引業者様、スタッフ、家族に支えられ、あっと言う間の20年でした(感謝)。本当にお客様から喜んでいただける商品が提供できるのもお取引先や業者様のご理解とご協力なくしては成り立ちません。業者様との素晴らしい関係作りの先にこそ、駅弁に始まった歴史ある「折箱」を時代のニーズに合わせ、こだわり抜いた商品としてお客様に提案ができると確信いたしております。これからも「日野折箱」に頼んでよかった、日野でなければならないと業者様、お客様から喜ばれる存在になれるように、もっともっと、いろんな方から学ばせていただきチャレンジし続けてまいります。


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