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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2016.2.26

異業種リレーの「わ」No.536 安原ボデーサービス代表 安原 吉城さん


今回は、「アトリエ・シェリー 」代表、渡辺 博美さんのご紹介により、
「安原ボデーサービス (福山市芦田町福田2878-3 TEL.084-958-5300)」代表、安原 吉城さんに登場願いました。

 

初心を忘れず、一歩一歩「納得できる志事(しごと)」で更なる存在感を!!

…継続は力なり
 福山の芦田町で生まれ育ちました。5歳下の妹と2人兄妹です。幼少の頃はおとなしくて良い子だったと思います。何故かと言うと母の口癖で「小さい頃はいい子だったのに」とよく言われていたからです(笑)。いつも、外で元気に遊んでいました。缶けりや鬼ごっこをよくやりましたね。小学校に上がると遊ぶエリアも広がり、アイデアも増えましたね。夏休みには近くの山にカブトムシやクワガタムシを採りに行きました。樹液や昆虫の臭いで近くにいるかいないかを嗅ぎ分けていましたね。名人級の嗅覚でしたよ。自転車に乗ったままサッカーをやる、サイクルサッカーも考え出しました。自転車同士がぶつかり合う激しいサッカーでした。自転車をボロボロにしては叱られていました。4年生になるとソフトボールが始まりみんな参加します。私のポジションはキャッチャーでした。そんなに強いチームではありませんでしたがそれなりに楽しんでいましたね。工作や物をつくることが大好きでした。祖父が大工をしていたので仕事場に遊びに行っては祖父の仕事をよく真似していましたね。お陰で子どもながらも精度の高いものを作って先生にも誉めてもらっていました。立体的に物事を考えて理解するのが好きでした。あっそうそう、理科のテストで1人だけ100点を取ったのが嬉しくてよく覚えています。皆が間違えた、水車の問題が要でしたね。中学では柔道部に入部。自分たちで練習の内容も考えて楽しいクラブ活動が出来ました。月に何度か警察から柔道を教えに来てくれていました。この日の練習は我々も先生も気合いが入るので、かなりハードでキツかったですね。そんなに強くはありませんでしたが試合で勝ったときはめちゃ嬉しかったのを今でもよく覚えています。えっ勉強ですか?好きではありませんでしたが英語と社会以外はそこそこでしたね。高校は地元の公立高校に入学しました。当初は帰宅部でしたが柔道の授業がきっかけで「柔道やりたいなあ」と思い、入部しました。いい先輩に恵まれ楽しいクラブ活動でしたが、楽しいからゆえにヤル気もでました。「やるなら黒帯、段を取ろう!」目標を立てて猛練習。1年の終わりには初段を取得。繰り返し練習をしていると歯車が合い技にキレが出てくるのが自分でもわかりました。正に継続は力ですね。体育の授業でクラス全員と試合をやったこともありましたね。向かうところ敵無しでしたね。校内での話ですが(笑)。でも、クラブの合間を見つけ又、つくってはよく遊んだ高校時代でした。卒業後は車に興味があったので整備士の資格を取ろうと専門学校に入学。一応3級はとりました。直ぐに大手のトラックメーカーに就職。ここで約1年トラックの整備を学びました。その後、自動車車検センターに1年。車関係の仕事だとレースに出場出来ないので、OA機器の会社に転職しました。レースは楽しかったのですが、やはり車に携わる仕事に就きたいと思う自分がそこにいました。

…天職との出会い
 ご縁をいただき車の鈑金塗装の会社に入社。腕を磨き自分で考えてやる、正に天職との出会いでした。5年間鈑金塗装の基本を徹底的に教わりました。業界の先輩から「もっと厳しいとこで自分を磨け」と紹介で弟子入り。社長(師匠)の許しが出るまでは休憩も出来ません。朝から晩までぶっ通しで働きました。キツかったのですが、それ以上に仕事が面白かったのと、この社長に負けたくないとの想いが勝り夢中でしたね。甲斐あって1年で社長に認めてもらいました。29歳のとき独立を決意。自宅のカーポートの下、車1台分のスペースからのスタートでした。軌道に乗るまでは手伝ってほしいと社長に言われ、恩返しのつもりでしばらく手伝わせてもらいました。あれから20年、いろんなことがありすぎるくらいありましたが仲間や友人、業者さんに支えていただき今日まで頑張ることができました。何年か前からモトクロス業界にも携わりたいと、ヘルメットのペイント部門「PEINT IZM(ペイントイズム)」を旗揚げしました。若い子達が命がけで宣伝してくれるので励みになります。これからも初心を忘れず一歩一歩ですが「納得できる志事」で自分を磨いて行きます。