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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2016.3.10

異業種リレーの「わ」No.537 株式会社アリアル 代表取締役 麥田 祐市郎さん


今回は、「安原ボデーサービス 」代表、安原 吉城さんのご紹介により、
「株式会社アリアル (福山市駅家町上山守466-6 TEL.084-976-9118)」代表取締役、麥田 祐市郎さんに登場願いました。

 

「進化し続ける家」をご提案ひとつひとつ形にしたいと念い(おもい)ます!!

…為せば成る、為さねば成らぬ
 福山市芦田町で生まれ育ちました。3歳ずつ離れた弟2人の3人兄弟の長男です。幼少の頃から外で元気に遊ぶ活発な子どもでしたね。結構おませで大人のやっていることに興味を示したり、年上の子と遊ぶことが多かったですね。小学校1年の時には5・6年生と一緒に遊んでいました。興味を持つとすぐにやってしまう性格で、やりすぎて親と一緒に学校に呼び出されることが度々ありました。エネルギーがあり余っていたのですかね?でも、そのエネルギーをソフトボールや野球に注げたのがよかったと未だに親から言われます。私もそう思います。父が熱狂的な野球好きで夏休みには高校野球を見に甲子園によく連れて行ってもらいました。野球観戦よりは車での道中や宿泊ができるのと球場でジュースや氷を食べるのが楽しみでしたね。4年生位からソフトボールを始めました。ポジションはキャッチャーかショートでした。父から勉強しろと言われたことはありませんでしたが、野球の練習や筋トレはサボらないようにとよく言われていました。小学校の高学年の時は部屋にベンチプレスがありましたからね(笑)。中学に上がると野球のクラブチームに入団、週4日、瀬戸町まで自転車で通っていました。厳しい監督の下で徹底的にしごかれました。この頃ですから練習中は水が飲めませんでした。喉がカラカラで苦しかったのを今でもよく覚えています。毎日の自主トレーニングも欠かさずやっていましたね、毎朝6時に起きてランニングと素振りをやっていました。監督の手のひら検査で手に豆が出来ていないと練習をさぼったとみなされ、ぶん殴られます。でも皮が厚くなると練習はちゃんとやっていても豆が出来ないときや、皮がむけて剥がれて傷が治り再生されている時があります。そんな時はぶん殴られるのが嫌なので、自転車のグリップで豆をつくったりしていましたね(笑)。

…念ずれば花ひらく
 高校は大分の野球名門校へ入学しました。寮に入り野球漬けの3年間でした。朝5時に起きて自主練習7時に点呼、朝礼。体育進学コースの我々は午後からの授業が野球のこともありましたね。夜は8時頃まで練習です。寮に帰りお風呂とご飯。夜の点呼と終礼が終わり、寝るのは11時か12時頃でした。寝不足だったので昼間は5分でも10分でも暇があれば目覚ましをかけて寝ていました。クタクタの時は授業中に寝ていましたね。先輩の理不尽なシゴキやシバキは日常茶飯事でしたね。1・2年の時は甲子園に行けず悔しい想いをしました。我々が3年のときは理不尽なシゴキ、シバキは止め、初心に戻り「何のためにここへ入学して野球をやっているのか」を自問自答、皆で考え、甲子園への為の厳しい規則を立て猛練習の日々を送りました。お陰で念願の甲子園の土を踏むことが出来ました(嬉涙)。中学、高校3年生のOFFシーズンには多少は遊びもしましたが野球一筋の6年間でした。野球を通じてやれば出来る精神や遣り抜く素晴らしさを学ぶことが出来ました。卒業後は大阪の大手自動車メーカーに就職しましたが、内勤は自分に向いていないと思い1年半で退社、福山に戻り呉服営業を2年、建売住宅会社に3年、注文住宅会社に3年勤務。不動産や住宅関連の仕事が奥深く勉強にもなり、やりがいを見出せる天職だと想いました。同時に、ある社長の仕事に対する姿勢と念い(おもい)に触れ「俺も社長になろう」と決意しました。2012年5月5日ここ駅家町にご縁をいただき「株式会社アリアル」をオープンさせていただきました。不動産のことなら…をキャッチコピーに地域(福山)に根ざした会社にしたいと想いを込めバラのマークをロゴに組み込みました。お客様や仲間に支えられ今年で4周年、5年目のスタートを切らせていただきます。これからは注文住宅や建売住宅にも力を注いでゆきたいと想っています。あなたにとって家とは…家っていったい何か?どうあるべきか?何のために建てるのか?家族一人ひとりの居場所があり、帰るのが、過ごすことが、楽しむことが、嬉しい家。「進化し続ける家」をお客様にご提案。一緒に考えひとつひとつ形にするお手伝いをさせていただきたいと念います。