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Prekoトップページ > 異業種リレーの『わ』 > 異業種リレーの「わ」No.529 MON NAKAMURA」代表 中村 耕一さん
異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.12.11

異業種リレーの「わ」No.529 MON NAKAMURA」代表 中村 耕一さん


今回は、「ロザフィ教室 L♡Ful」代表、井川 理砂さんのご紹介により、
「MON NAKAMURA(福山市多治米町5-22-22 TEL.084-953-7218)」代表、中村 耕一さんに登場願いました。

 

想いをひとつに、新しい自分を発見し美しい自分にしてくれるブティックに!!

…人の喜びが嬉しい自分との出会い
 岡山で生まれ、10ヶ月の時、父の仕事の都合で福山に引っ越し育ちました。3人兄弟の長男です。幼少の頃ですか?いたって普通だったと思いますよ。父が暖簾わけで服地のお店を営んでいました。仕事道具で遊んで怒られていました。そろばんをひっくり返してローラースケートをやったり、布を切る専用のハサミで紙を切ったり、竹のサシでチャンバラごっこもやりましたね。何度、怒られても懲りずにやっちゃうんですよね。1階のお店から父の怒鳴り声がしない日はありませんでしたね。勿論、外でも遊びますよ、近くの公園でロクムシや陣地とりをして元気に遊んでいました。小学校に上がると行動範囲が広がります。ゴム工場に入って山積みされたゴムの廃材の上で遊んだりしていました。自宅が繁華街から近かったので銭湯やその道中にオネエ様たちによくからかわれていました。景気も良かったので夕方になるとものすごい人でしたね。勉強は中の上、位ですかね。中学になるとクラブ活動が始まります。テニス部やバスケットボール部に入りましたがすぐに退部、帰宅部になりました。ステレオがある友達の家に集まってはロックやフォークの音楽を聴いていました。箕島沖へ釣りに行ったりもしていました。高校は地元の公立高校に合格、入学しました。やはり帰宅部でした。2年の時、仲良しの友人に誘われ生徒会に入りました。執行部で文集の編集をやっていました。クラス以外の友人も増え楽しく打ち込めました。今思えば誰かのために何かをやらせてもらう喜びを何となくですが分かったのだと思います。友人と2人でバンドを組んで「記念祭」にも出ました。「サイモン&ガーファンクル」のコピーでエントリー。放課後になると練習が始まります。12弦ギターに私が6弦ギターでハモッたりと結構本格的でしたね。打ち上げでビールを飲んで先生に叱られたのも今では良い思い出ですね。東京の私立大学に合格。同級生のお兄さんが在学中でテニス部に誘っていただき入部しました。超ハードスポーツで驚きましたがこのハードさが私にはピッタリで楽しめました。テニスにアルバイトに夜は時々ディスコパーティー、冬はスキー三昧!!勿論、ゼミにも参加、単位をとりながらですよ。ゼミは何となくマーケティングに興味が涌き2年頑張りました。勉強にアルバイト、遊びと大忙しで飛び回るのが私の性にあっていたのだと思います。充実した大学生活をおもいっきりエンジョイ出来ました。

…感謝の気持ちでなんでも楽しむ
 就職はバイトのときに声を掛けられ、就活の練習になればと洒落で受けた大手の出版会社が役員面接まで進んでいました。しかし、ファッション関係に進みたい意志が固まっていたので断りました。東京で製造と卸のアパレル会社に入社、営業部に所属されました。ちょうど新しいシステムで小売にも進出する段階でやりがいがありました。ヨーロッパのノウハウをマニュアル化して小売店に導入、実際に我々営業が売り場やショーウインドウを演出します。ビジュアルマーチャンダイジングの奔りでした。展示会が近づくと仕事は毎日夜中まで「夜明けの〇〇〇〇」と噂されるほどハードでしたが4年間で3倍に急成長した最中で働けたことで素晴らしい学びを沢山いただきました。28歳のとき生涯職業を自問自答。「栄枯盛衰の商いへの覚悟があるなら帰って来い」悩み貫き父の仕事を継ぐ決意をいたしました。服地の卸・小売りから徐々に洋服の小売店に変わっていきました。両親から継いだナカムラブランド。2013年自宅の1階を改装し多治米町へ移転リニューアルオープン。これを機にいつまでも美しく元気で人生を楽しめるお手伝いもやらせていただこうとカルチャー教室や音楽を楽しめるブティックに変身。新たな縫製会社さんとのご縁にも恵まれ、既製品とオリジナル製品に合わせ洋服のオーダーメイドやイージーオーダー、リメイク、リサイズも承っております。これからも両親と私と妻の想いをひとつに新しい自分を発見し美しい自分にしてくれる空間「MON NAKAMURA(モンナカムラ)」をお客様と一緒に創っていきます。


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