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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.12.4

異業種リレーの『わ』No.528 ロザフィ教室 L♡Ful 代表 井川 理砂さん


今回は、「Ricordi」代表、右下 武さんのご紹介により、「ロザフィ教室 L♡Ful(尾道市因島中庄町3055 TEL.090-4144-7641)」代表、井川 理砂さんに登場願いました。

 

無限の可能性を秘めた「ロザフィ」で
お二人の門出のお手伝いをさせてください!

…喜ぶ姿をエネルギーに
 尾道の因島で生まれ育ちました。弟と妹の3人妹弟の長女です。幼少の頃は気性が荒くて手のかかる子どもだったそうです。人見知りはなくて誰とでも直ぐに仲良くなれる性格でした。幼稚園の時にピアノを習い始め、小学校の6年生まで頑張りました。小学校に上がると習字も始めました。空手に興味があって体験教室に行きましたが、女の子なんだからと父に新体操の教室に入れられました。身体が硬かったこともあって3年して、ジュニアのバレーボールチームに転入しました。厳しいコーチの元で練習に励みました。オーバーハンドパスを落とさずに何分できるか、瞬きをせずに何分目が開けていられるか、などなど一所懸命でした。前から3番目と背が低かったのでポジションはレシーバーでした。小学校卒業まで頑張りました。友達も沢山できました。勉強は理科が苦手でした。好きな科目は音楽、特に歌をうたうのが大好きでした。口のあけ方や発声練習に真剣に取り組んでいました。歌のテストや発表会の日はめっちゃ張り切っていましたね。遊びはドッジボールやゴム飛びが流行っていました。給食の後の大休憩は楽しみでしたがキノコが苦手でマッシュルームのスープが献立の時は中々完食できないので遊ぶのを諦めるしかありませんでした。中学は卓球部に入りました。上下関係が厳しいクラブで挨拶や礼儀を徹底的に学びました。挨拶がちゃんとできないと先輩に呼び出されて厳重注意を受けます。でも、私たちが先輩になった時はかなり優しかったと思います。仲のよい男女グループで船に乗って三原の街へボーリングやハンバーガーを食べに行くのが楽しみでした。高校は因島の公立高校へ進学しました。クラブは男子バスケットボール部のマネージャーでした。お茶汲みやユニホームの洗濯、怪我の手当て、スコアブック、部費の管理が役目です。土日、夏休みもほとんどありませんでしたが存在を認めてもらいやりがいがあって楽しかったです。学園祭に仲良し4人組で出場。休憩時間やクラブ終りに集まり猛練習、マックスの歌をうたって1、2年生の時はアイドル賞、3年のときはついに優勝しました。いい思い出になりました。 

…ご縁に感謝、ご縁でお返し
 高校卒業後はホテルのベルガールになりたいと先生に相談したところ、「井川は英語がちょっとなあ」と言われ、あきらめました(笑)。従姉に進められ歯科衛生士のオープンスクールに行ったのがきっかけで衛生士を目指すべく岡山の専門学校に入学。1年目は専門用語をはじめ覚えることが山のようにありくじけそうになりましたが何とかクリア。2年目は実技で半日は医院で実習。何とか国家資格を取得できました。因島に戻り地元の総合病院に就職しました。約4年勤務しましたが体調を崩し退職。しばらく休養、元気になったと同時に、都会への憧れから神戸の歯科医院へ入社。覚悟していたプレッシャーを楽しめず、またしても体調を崩し激痩せ。自宅に戻り入退院を繰り返す長期療養……少しずつ元気を取り戻し、人と違うことをやりたいと意欲がわいてきました。そんな時、出会ったのが「ロザフィ」でした。特殊な紙で創るバラのアクセサリーアートに魅了されました。福山で体験できる教室を見つけ、リハビリのつもりで始めました。先生に資格を取ってみたらと薦められ講師の資格を取得。それを知った友人が尾道のカフェのオーナーに声を掛けてくれ、そこで小さなワークショップをさせていただきました。義理の妹が働くホテルのロビーに作品を展示、販売させてもらえることに。古民家サロンのオーナーに1階の空きスペースで尾道教室をさせていただいたのがきっかけで尾道や福山の色んなイベントへも参加させていただくようになり私の「ロザフィ」活動が本格的に始まりました。8年前に日本(横浜)で生まれたこのアートにはまだまだ無限の可能性が秘められていると思っています。また、福山がバラの街であることにも深いご縁を感じています。これからはプレゼントをはじめ、愛と美の象徴であるバラ「ロザフィ」を通じてウエディングにも関わらせていただければとイメージを膨らませワクワク、ドキドキしております。