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No.10 大衆の登場 その無責任な“我”
by 藤原 勝弘 2009.11.24

 戦後日本人一般の価値観は己の利益獲得と個人主義優先の色合いが濃いものとなった。自由民主主義の下では何をしてもよい権利があると身勝手な解釈をする人間が増え、人々は絶えず周囲と同じであることに安心感を求め、物事の本質を深く考慮せず、富の追求にのみ邁進してきた。
 元東京女子大学教授で評論家の森本哲郎氏はこうした日本の状況について文芸春秋の特集「日本人へ」の中で次のように述べている。“高度経済成長がもたらした大量生産下における消費社会は、勢い精神的な無規範をもたらさずにおかない。伝統はかえりみられず、価値観はバラバラになり、しかも新しい思想は一向に形成されそうにない。「大衆・消費社会」は人をして考えなくさせてしまうのである”と指摘している。現代人は半世紀以上も前にアメリカの社会学者D・リースマンが指摘した「孤独な群衆」になり果てたのだ。
 そしてこうした状況を20世紀初めにすでに予想していた人物がいた。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、その著書「大衆の反逆」(1930年)の中で“大衆というものはものを考えず、皆と同じであると感じることによって安心する類型である。大衆はいわば宙ぶらりんな虚構のなかで、とりとめもなく関心を浮遊させてふざけあいながら生きている”と指摘している。大衆の出現は「自由民主主義」(何事も多数決で決める=場合によっては衆愚)と「工業化」(利益と利便の追求)によるものである。そしてその特権は「自分を棚にあげて言動に参加できること」にあるが、いつ「心変わり」するか誰にもわからない。それでも社会はこの大衆の無責任な特権によって進むのであると分析している。これを読んで人々は自分が大衆に属していると知らされたのである。
 経済発展による富の追求のみに邁進した戦後日本。その行きづまりの果ての「いじめ、自己中、偽装、詐欺、汚職、無差別殺人、親子殺人等々」にみられる社会的混乱。その中で規範たらねばならない政治家や高級官僚あるいは財界人と言われる人々の、あいも変わらない金や権益への執着。社会や国民に奉仕するというリーダーとしての義務や責任感の姿勢は希薄で、そこに見られるのはもはや__劣化した人間_≠フ姿に他ならない。それに対する処方箋はないものか。あるとすればオルテガが指摘しているように大衆的人間でない真のリーダーたる者、つまり“己に課すべき責務を他の誰よりも多く持ち合わせている人”は誰かをよく見極め、国家としてのあるべき姿(アイデンテティ)とそれに基づく新しい価値観の構築を急ぐことに他ならないとおもうのであるが。


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ブログを書いた人
藤原 勝弘
一九四四年生まれ。慶応義塾大学卒。広島テレビ勤務を経て、現在、松岡病院に在勤。
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