ぷれこweb
ぷれこサイト内検索!
Loading

Prekoトップページ > 連載エッセイ > 異業種リレーの『わ』 > 異業種リレーの『わ』No.516 日本カイロプラクティックセンター神辺 院長 森原敏文さん
異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.8.7

異業種リレーの『わ』No.516 日本カイロプラクティックセンター神辺 院長 森原敏文さん


今回は、「株式会社 車のタンチ」代表、丹地 光治さんのご紹介により、「日本カイロプラクティックセンター神辺(福山市神辺町湯野1326-6 TEL.084-962-3666)」院長、森原 敏文さんに登場願いました。

 

身体のバランスを整え、より自然に調和。
もっともっと皆様のお役に立ちたい!!

…徹底的と夢中の先に必ず笑顔がある
 福山(神辺)で生まれ育ちました。2人兄妹の長男です。幼少の頃は親戚中で最初の子どもだったので叔父さんや叔母さんによく可愛がってもらいました。親戚の叔父さんに足で漕いで乗る車と自転車を買ってもらいそれに乗ってよく遊びました。小学校の頃は、仮面ライダーカードが大流行していて必死で集めていました。確か7番のハチ女が中々出ませんでした。遊びは紙面子やビー玉、肉弾、サシムシ、馬乗り等でした。小学校1年の時、叔父さんから「今度来る時は何がほしい?」と聞かれ、迷わず「柔道着」と答えたのを今でもよく覚えています。テレビか漫画の影響でしょうか、幼少時から武道に興味を持っていましたね。4年の時に道場へ入門し、2年で音をあげました。中学に上がると英語と数学の塾に通っていました。合間には、仲間3、4人で神社に集まり空手の稽古をやっていました。実は武道の中でも特に空手に興味があり、本や専門誌を読みあさり、最後には通信教育で空手を習い、その実践を神社でやっていたのです。今でもその時の仲間に会うと稽古中も人一倍身体を鍛えていたことを未だに言われます。その頃から私の中では人生イコール修行でしたね。高校では空手がやりたいと思っていました。進学は空手部があることを聞いていた公立高校に進学しました。しかし、入学してみると1年前に空手部は無くなっていました。ショックを受けましたが、同時に少林寺拳法という素晴らしい武道に出会えました。「これは、凄い」私は空手に関節技の加わった少林寺の虜になっていきました。同時にオートバイが大好きですぐに原付の免許を取りバイクを買いました。行動範囲は広がり海や山は勿論、色んなところに行きました。3年生の時には中型免許を「いっぱつ」(自動車学校に通わず自力で何度か挑戦して免許を取得すること)で取りに行きました。5回位で合格しましたかね。少林寺とバイクの充実した高校生活でした。卒業後は、広島市の大学に入学しました。この時も修行への想いは強く、大学の同好会に実践ケンカ空手でマニアには有名な芦原空手があったので、すぐに入会しました。4年生時には広島駅前道場で指導の経験も積ませていただきました。途中、バイクで車と正面衝突する大事故をして足と肩を骨折し何ヶ月も入院したりと親には随分と心配をかけましたが、一人暮らしの大学生活を大いにエンジョイしました。
 卒業してからは何がやりたいかよく分からなかったので、社会の仕組みが勉強できるところに就職しようと思い、JAに入りました。金融や保険、物販の仕事を経験、世の中の仕組みや税金、年金、金融の動きやお金や物の流れを10年間でみっちり勉強させていただきました。そんな中、幼少期より一番興味があった人間の体について学びたくなり、また、バイク事故で健康のありがたさも体験していることから、健康面で人様のお役に立ちたいと想い大阪のカイロプラクティックの学校に入学しました。そこで素晴らしい先生に出会うことが出来ました。次に気功も学びたいと先生に相談したところカイロでも気功が学べることを教わりました。先生から解剖学を勉強するように言われ、暇さえあれば本を開き、徹底的に勉強し極めました。スポーツセンターのリラクゼーションのアルバイトでカイロの施術をお客様に試させていただき皆様に喜んでいただいたことで自信がつきました。卒業して福山に戻り、すぐにここ神辺町で「日本カイロプラクティックセンター神辺」を開業させていただきました。「日々学び、日々実践」を繰り返し沢山の方とふれ合わせていただき、お陰様で今年17周年を迎えさせていただきました。これからは、整えさせていただいた身体のバランスがより自然に調和できるよう、身体の源「食」の力も取り入れてもっともっとお役に立ちたいと決意も新たに使命を感じております。