ぷれこweb
ぷれこサイト内検索!
Loading

Prekoトップページ > 異業種リレーの『わ』 > 異業種リレーの『わ』No.512 まえだ琴教室 代表 前田 邦子さん
異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.6.25

異業種リレーの『わ』No.512 まえだ琴教室 代表 前田 邦子さん


今回は、「body & facial なのは」代表、岡森典子さんのご紹介により、
「まえだ琴教室(福山市大谷台3-12-14 TEL.090-3635-9847)」代表、前田 邦子さんに登場願いました。

 

「咲く時も、散る時も、潔く、桜の如く」を胸に、
お琴の音色、素晴らしさを伝授!!

…音楽との出会い
 福山の隣町、笠岡市で生まれ育ちました。6歳はなれた弟と2人姉弟です。幼少の頃から人見知りの激しいおとなしい子どもだったと思います。でも、決断すると積極的に頑張る性格でしたね。捨て犬を連れて帰り「うちで飼わせてほしい」と両親を説得したこともありました。小学校に上がると友達も増え校庭でよく「ロクムシ」をやって遊びました。勉強は好きではありませんでしたが、宿題は先生に怒られるのが嫌なのでやっていましたね(笑)。音楽の授業は好きで合唱や合奏、特にレコード鑑賞の時間が楽しみでした。意味は分かりませんでしたがベートーヴェンやバッハの曲を聴くと何ともいえない気持ちになりました。細胞に響くというか、とても感動したのを昨日のことのように覚えています。心に響いた曲はおこづかいをはたいてレコードを買います。シングル盤が無いものはおこづかいを貯めてLPを買いました。擦り切れるまで何度も何度も聴きました。中学ではテニス部に入りましたが打ち込めそうになかったので1年で退部しました。勉強は相変わらず好きになれませんでしたが音楽に合わせ英語が好きになりました。中学一番の思い出は祖父が危篤の時、自宅で一人になり近所の知り合いの家で預かってもらう話になったときのこと「この家は私が守らなければ」と想いみんなが帰るのを一人家で待ったことです。そうは言ったものの恐かったので全部の部屋の電気を点けたままにしました(笑)。高校の時に友達に誘われて琴の教室に通うことになりました。最初に聴いた先生が奏でる琴の音色に魅了されました。琴との出会いの瞬間でした。親にはどうせすぐにやめるのだからと反対されましたが何とか説得して始めることが出来ました。お師匠さんは、とても厳しい方でお辞儀の仕方から礼儀、作法までみっちり仕込んでいただきました。お稽古は更に厳しさを増します。「どうして弾けないの?」と叱られ泣きながらのお稽古も度々でした。「家でちゃんと習ったことを毎日、練習していたの?」「誰がお月謝を払ってくれていると思っているの」それでも不思議とやめようと思ったことは一度もありませんでした。それどころか「お師匠さんの言われることを聞いて、人の心に伝わるような演奏が出来るようになりたい」との一心でした。家での練習も頑張りました。休日には一日中練習します。足がしびれ手は痛くて動かなくなり、疲れきって眠くなっても、もう少し弾きたいと念(おも)う私がそこには居ました。お琴と向き合っている瞬間が「一番幸せ」と感じることが出来たからです。お琴が中心の高校時代でした。

…琴線に刻まれた念いが甦る
 卒業してからもお琴を続けたいと両親に頼み込み、本格的に弟子入りさせてもらうことになりました。合間に喫茶店でアルバイトをしながらの修行でした。3年後、友人の紹介で知り合った主人と結婚し福山に住むことになりました。結婚してからもお琴は続けても良いということでしたが現実は難しく、一旦お休みすることにしました。弾きたくて、弾きたくて悶々と遣りきれない日々が続きました。でも3人の子どもにも恵まれ家事に子育てに奮闘し充実した日々が過ごせました。お琴から遠ざかり20年近く経ったある日、次男がギターを習い始めました。その教室の送り迎えで待っている時に大人のピアノの教室の看板に目が留まり、待ち時間で私も始めようと申し込みました。「楽しい」とは思えたのですが同時に封印していたお琴への想いが甦りました。「どうしてもお琴がやりたい」夢中でした。知り合いの後押しで福山に先生を探し、倉敷のお師匠さんの許可もいただき、晴れてお琴が弾ける私に戻ることが出来ました。新しいお師匠さんについて10年目の2012年、師範の免状をいただきました。今では小学校「琴クラブ」への指導にも行かせていただいております。子ども達の目の輝きと素晴らしい可能性を大切にしてゆきたいと想います。たくさんの方のご縁をいただき今の環境に自分を置かせていただいていることに幸せを感じると共に感謝を致しております。まだまだ未熟ではありますが、しっかりと努力して精進してゆく覚悟です。


海と山のアート回廊
バスツアーのご案内