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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.5.22

異業種リレーの『わ』No.509 すみれ鍼灸整骨院 代表 三重野 隆志さん


今回は、「株式会社アイエスツール」専務取締役、宗田隆幸さんのご紹介により、「すみれ鍼灸整骨院(福山市御幸町森脇427-7 TEL.084-955-6745)」代表、三重野隆志さんに登場願いました。

 

「すみれに行けば元気になれる」と頼りになる
存在価値のある「鍼灸整骨院」に!!

…憧れに関われば輝く
 福山で生まれ育ちました。3歳上の姉と2人姉弟の長男です。幼少の頃から活発でいつも外で元気に遊んでいました。今思えば怖いもの知らずのチャレンジャーでしたね。崖を自転車に乗って下り、真っ逆さまにひっくり返りました。山道をスケートボードにまたがり滑り下り、買ってもらったばかりの靴に穴を空けて大怒られでした。生傷が絶えませんでした。小学校に上がるとソフトボールに夢中になりました。結構強いチームだったので、練習もきつかったです。特に守備練習のノックはこれでもか、これでもかと鍛えられました。お陰で早くからレギュラーになれセンターでクリーンアップを打たせてもらいました。肩が強かったのでセンターゴロで何度かアウトにしたことも有ります。勉強もこの頃は嫌いではありませんでした。塾にも通っていましたし歴史に興味があり特に社会が好きでした。苦手は国語でしたね。遊びはこんにゃくボールで野球をやったり、父のクラブを勝手に持ち出しゴルフのまね事もやりました。中学ではJリーグの開幕でサッカーがブームになり、サッカー部に入りました。一所懸命練習し何とかレギュラーを獲得、私はゴールキーパーでした。サッカーは楽しみながら上達出来ました。一番の思い出は中学最後の試合です。同点で迎えたPK戦、私の役目はゴールを阻止すること、それに集中しました。一喜一憂のPK合戦はもつれに縺れました。そして、まさかの出来事が11番目の私への順番が回って来たのです。外したら私たちのチームの負けです。プレッシャーを全身で感じながら渾身の想いで蹴った私のボールは…相手のキーパーに止められてしまい、「ゲームセット!」この試合は私のサッカー人生で一番の思い出です。高校は他校の2級上のキーパーをしていた先輩に憧れその人に教わりたい一心で地元の公立高校へ入学しました。厳しい鬼コーチの下、軍隊式の練習の毎日でした。上下関係と先生の言うことは絶対です。ぶん殴られるのは当り前、全ては試練、覚悟と納得のうえでした。瞬発力や反射神経を磨く基礎練習は辛かったです。中でも100本を止められるまで続く100本ノックは本当にしんどかったです。このときの経験が今の私をつくってくれました。一番の思い出はオランダへの遠征です。練習方法が全く違うヨーロッパの選手との練習試合は全く歯が立たず試合になりませんでした。「もっともっと練習して上手くなりたい」の想いと悔しさを募らせてくれました。休みも遊びも無い、寝ても覚めてもサッカー一筋の高校生活でした。

…些細な身体の不調もお任せください
 卒業後はサッカー部で身体のケアをしてくれるトレーナーの方の仕事に憧れ柔道整復師の資格を取るため福岡の専門学校に入学。厳しい学校でヤル気のないやつは容赦なく落第させるところで入学時に120人居た同期は2割以上が脱落してゆきました。何とか卒業して国家資格を取得した私は福山に戻り、憧れの先生の下で働くことになりました。整骨院の仕事を学びながら地元大学のサッカー部やバレー部のトレーナーの仕事も覚えました。ここで3年整骨院のいろはを学ばせていただきました。その後、地元の整骨院に就職、3年後は店を任せてもらえるようになりました。責任者で3年、計6年は仕事の素晴らしさや経営を学ばせていただきました。30歳で独立を決意、ここ御幸町の森脇にご縁をいただき2011年6月に花のすみれのように患者様に誠実でいつまでも愛される治療院を目指して「すみれ鍼灸整骨院」と命名、オープンさせていただきました。オープン当初は患者様も少なく大変でしたが患者様や仲間、スタッフに支えられ今年で4周年を迎えることが出来ます。これからはこの世界に入ったきっかけのスポーツトレーナーにも力を入れたいと想っています。また、リハビリや筋トレの出来るスペースを確保。怪我をしない身体づくりの予防トレーニングも始めたいと考えています。老若男女を問わずどんな些細な体の不調も気軽に相談できる誠実で愛される「すみれに行けば元気になれる」と頼りになる存在価値のある「鍼灸整骨院」を目指してこれからも元気いっぱい頑張ります。