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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.5.15

異業種リレーの『わ』No.508 株式会社 アイエスツール 専務取締役亜 宗田 隆幸さん


今回は、「株式会社ナチュラル」代表取締役、村上貴則さんのご紹介により、「株式会社アイエスツール(福山市御幸町中津原1698 TEL.084-983-2755)」専務取締役、宗田隆幸さんに登場願いました。

 

スタッフの満足=お客様の満足!
挑戦し続ける日本一の切削メーカーに!!

…母がくれた考動力
 福山で生まれ育ちました。6歳上の姉と2人姉弟の長男です。やんちゃでいたずら好きな子どもだったと聞いています。保育所の時からスカートめくりはやっていましたね。身体を動かすのが大好きでブームのファミコンもやりましたが鬼ごっこやかくれんぼ、秘密基地づくりと外で元気いっぱいに遊ぶことのほうが多かったですね。小学校に上がるとソフトボールに夢中でした。足が速かったので運動会でリレーの選手にも選ばれました。4年生の時にJリーグが開幕したのをきっかけにソフトはやめてサッカーに転向しました。三浦知良に憧れ上手くなりたい一心で練習しました。友人の上手い子に習って6年生の時には市の選抜チームの選手に選ばれました。勉強は嫌いでしたが一応やっていました。親からは勉強をしなさいと言われたことは一度もありませんが、「自分のことだから何ごとも自分でよく考えて行動しなさい」が母の口癖でした。今思えばそのお陰で考えて動く「考動力」が自然に身についていました。中学に上がると迷わずサッカー部に入りました。小学校の時は指導してくれる先生が居ませんでしたが、中学では有名大学の元サッカー選手が顧問の先生でどんどん上達するのが嬉しくて、楽しくてしかたありませんでした。寝ても覚めてもサッカーのことばかり考えていました。クラブは勿論のこと休憩時間も遊びもサッカー、サッカーの毎日でした。高校は広島の強豪校にスカウトしていただきました。高校には寮がないので大学生の寮に特別に入れてもらい一人暮らしが始まりました。厳しい鬼コーチの下、「プロになる」決意を胸に、高校のサッカー生活がスタートしました。早朝の3~5㎞の走り込みから1日が始まります。授業が終ると直ぐに練習。面倒見の良いコーチでしたがよく怒られ、ぶん殴られました。練習の締めは1500m走です。5分以内に5人が入らないと何度も何度も出来るまで走ります。この締めの走り込みが嫌でイヤでたまりませんでした。でも、今振り返ると、この厳しい練習のお陰で今の私があります。


…想いは壁を貫く
 卒業が近づき沢山の大学からオファーをいただきました。しかし、地元に帰る決心をしていた私は福山の大学にサッカー入学しました。半年間、頑張りはしましたが、何故かしっくり来なくてプロを諦め退学しました。地元の大手製造業の関連企業でしばらく働きました。そんなある日、学生時代の友人が働いている笠岡の会社が人を募集しているから来ないかと声を掛けてもらい入社しました。製造業に興味があった訳では有りませんが、同年代の仲間が沢山居て楽しく仕事が出来ました。切削、再研磨との出会いでした。そして4年後に中途入社してきたひとつ上の同僚(今の社長)と意気投合。1年後に独立を決意しました。しかし、それは想いとエネルギーだけの無謀な決意でした。1年間、色々と調べ独立の準備を進めますが、銀行にお金を借りに行っても門前払いでした。途方にくれていたある日、加工屋の社長さんが私たちの想いを聞いてくださり「面白い、やってみろ」と空いている工場を貸してくれました。お陰で銀行からも何とかお金を借りることが出来ました。念願のNCの機械(自動研削機)を1台購入することが出来たのです。2008年3月、やっとの想いでの開業でした。タウンページで営業先を調べ、近くの警察署で地図を見せてもらい場所を探し営業にまわります。しばらくすると10軒に1軒の割合で仕事がもらえるようになりました。昼間は営業にまわり夜は研磨、次の日には納品を繰り返しました。寝る暇を惜しんで働きました。納品のスピードの速さを喜んでもらいお客様も除々に増え、約4年かかりましたが、何とか軌道に乗せることが出来ました。お客様や業者さん、スタッフに助け支えられ、昨年の9月にはここ御幸町に新社屋を建てることが出来ました。そして、今年7周年を迎えさせていただきます。これからも「スタッフの満足がお客様の満足へ繫がる」をスローガンに製造業のイメージを一新。感謝と情熱と素直さで挑戦し続ける日本一の切削メーカーを目指してみんなと力を合わせ頑張ります。


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