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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十二回 持ち去られた寺宝
by 釜谷 勲 2008.2.24

 鞆と同じように北前船で栄えた竹原に、京都の清水寺を模して造った普明閣で知られている西方寺があります。この普明閣の本尊は十一面観音で、広島県の重要文化財ですが、秘仏とされています。4年前、機会があって特別に拝観を許されたことがあるのですが、室町時代の立派なもので、華麗繊細という印象が残っています。
 この寺の文書によれば、この観音像はもともと鞆の小松寺の本尊で、戦乱が鞆に迫ってきたので、住職が本尊を背負って竹原へ逃れてきたと書かれています。そこで三原城主、小早川隆景が普明閣を建立して、十一面観音を安置したのだそうです。
 天正4年(1576)室町幕府最後の将軍、足利義昭が毛利輝元を頼って鞆に来て、小松寺に仮住まいします。その接待責任者が当の小早川隆景です。義昭が戦乱を避けて鞆へ来るくらいですから、当時、鞆が敵に迫られている様子もありません。
このような時代背景を考えると、寺の文書とはつじつまが合いません。鞆の小松寺には言い伝えすら残されていません。
 四国松山の南隣に伊予市があります。その伊予市の傳宗寺(でんしゅうじ)という寺に、室町初期の大般若経(だいはんにゃきょう)が伊予市重要文化財として所蔵されています。
 大般若経とは600巻もある、膨大な紙数の大経典です。西遊記のモデルとなった玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドから持ち帰って翻訳し、集大成したものです。同じ室町初期の大般若経が広島県の重要文化財として、尾道の西国寺に所蔵されています。どこの寺にでもある経典ではなく、所蔵する寺では本尊同様大切にされています。
 この傳宗寺の大般若経の第1巻や他の多くの巻の末尾に「備後国鞆浦安国寺の備品、持出し厳禁、応永6年(1399)に納められたもの」と明記されています。唯一、第291巻に安国寺の備品と書かれた次のページに、「傳宗寺の備品」とやや大きめに書き加えられています。この後書きは室町末期(1540年頃)の筆跡とされています。
 寺の文書に不思議な物語が記されています。海中から引き上げられ、この寺に寄進された釣鐘が、もとの安国寺に帰りたいと毎夜のように泣くので、安国寺所蔵の経典と釣鐘を交換したというのです。現在、安国寺には釣鐘は残っていませんし、記録もありません。どうしたことなのでしょうか。
 明治時代、国内の交通と物流の手段が船から鉄道に切り替えられました。船にとって重要な港町だった鞆は時代の流れから取り残されていきます。それまで万葉の時代から繁栄し続けた港町ですが、しかしその途中でも繁栄が途切れることはあったのです。
 十一面観音も大般若経も、鞆の寺から持ち去られたのは室町中期から末期までの間と考えられます。その頃、続く戦乱で国内の交通や物流が妨げられ、鞆の浦は経済力を失いました。
 天文16年(1549)に毛利元就の力が鞆に及ぶようになるまでは、鞆の寺院の経営も容易ではなく、住職がいなくなった寺もあった筈です。寺宝の仏像や経典がひそかに売り飛ばされたり、盗まれたりしたことがあったかもしれません。


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