ぷれこweb
ぷれこサイト内検索!
Loading

Prekoトップページ > 連載エッセイ > 異業種リレーの『わ』 > 異業種リレーの『わ』No.504 少昔懐雑貨 チョイ古骨董 『けすくせ宇田』代表 宇田吉廣さん
異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.4.3

異業種リレーの『わ』No.504 少昔懐雑貨 チョイ古骨董 『けすくせ宇田』代表 宇田吉廣さん


今回は、「Cut 遊」青木幸久さんのご紹介により、 「少昔懐雑貨 チョイ古骨董 けすくせ宇田(福山市鞆町鞆825 TEL.090-4107-5906)」宇田吉廣さんに登場願いました。

 

「けすくせ」これはなんですか?
大好きな鞆の浦の役に立つことです。

…一所懸命の先に楽しさがある
 福山で生まれ育ちました。幼少の頃からおとなしい子どもだったと思います。とは、申しましてもその頃ですから外で元気に遊んでいました。父が機帆船で大阪から福山への運搬の仕事をやっていたので、夏休みの海水浴は特別です。その船で無人島に出かけます。島が近くなると沖に船を停めて伝馬船(小船)に乗り換え上陸します。誰もいない綺麗な砂浜で味わうプライベートビーチ気分は最高です。ある日、近所の友達も連れて海水浴に出かけたときのことです。私が伝馬船に足をかけたときにロープが効いてなかったのか伝馬船が船から離れて行き海に落ちてしまいました。ちょうど近くに大人が誰も居なかったのですが、それを見ていた私より2歳下の子が、私が小学校に上がる前でしたから2、3歳ですね、片言の福山弁で「落った、落った、落った。」と必死で私の母を呼んできてくれたそうです。発見が早かったので私はまだ海中でもがいており、直ぐに助け上げられました。お陰で九死に一生を得ることが出来ました。今では笑い話のように話しはしますが、彼は私の命の恩人ですね。小学校は2年生からは山陽本線を境に新しい学校が出来、私は転校しました。少しの間はさみしい思いをしましたが、直ぐに新しい友達も出来ました。学校から帰るや否やカバンを放り投げて直ぐに遊びに行っていましたね。缶けりや肉弾で日が暮れるまで真っ黒になって遊んでいました。遊びの名前は定かではありませんが、確か瓦こかしか瓦倒し?はよくやりましたね。1対1の対決で、割れた瓦の破片をそれぞれの陣地に並べ代わり交代で瓦の破片を相手の瓦にダイレクトに投げて倒す遊びです。相手の瓦を先に倒したほうが勝ちです。上手く倒せると嬉しいのですが逆に倒されて負けるととても悔しいのです。熱くなって夢中で遊んだのを思い出しますね。勉強は嫌いでしたがそれなりにはやっていました。中学は国立の附属を受験し入学しました。クラブは卓球部に入部しました。体育館がなかったので、電気のない講堂が私たちのグランドです。日が暮れて球が見えなくなるまで毎日一所懸命に練習して頑張った、というよりは楽しみましたね。高校も同じ学校を受験し、トータル6年間、卓球を楽しみ抜きました。

…ご縁と繫がりこそが使命
 大学に進学するつもりでしたが母の体調が優れないのが気がかりでした。父は仕事でほとんど家にいません。母を一人にして大学にはいけないと思い、就職することにしました。定年まで42年、公務員で頑張りました。在職中は仲間と草野球チームを結成して約40年間ピッチャーとして頑張りました。というよりはやはり楽しみましたね。「どうせやるなら一所懸命やって楽しもう。」が私のモットーですね。遊びも仕事も人生も一所懸命やることで本当の楽しさに出会えると思います。この間、結婚もして子どもにも恵まれました。退職して間もない時、何かを始めたい衝動にかられ、自宅の一角で趣味の骨董品を並べてお店の真似事をはじめました。それがきっかけで友人がやっている鞆の浦のお店でブースを借りて出店することになりました。ひな祭り等のピーク時は娘と一緒に店番に出かけたりもしていました。そんなある日、お客さんから「鞆にはこんな骨董品のお店がないよね、あったら楽しいのにね」と言われたのがきっかけで鞆に自分のお店を出したいと思い、友人の紹介で鞆のNPOに申し込みをしました。3、4年待ちましたね、2011年この場所にご縁をいただき、少昔懐雑貨・チョイ古骨董の店「けすくせ(フランス語でこれはなんですかの意)宇田」をオープンさせていただきました。なかなか、商いにはなりませんが、今では鞆の浦が更に好きになりました。ご縁や繫がりを大切にして、この街を訪れた方が少しでも気持ちよく楽しんでいただけたら嬉しいですね。今では鞆の沖で九死に一生を得たことに繫がりを感じ、鞆の役に立つことが使命にすら想えています。仕入れで出掛けて店を閉める以外は、無休です。日が暮れて人通りがなくなるまで頑張って、いいえ楽しんでいます(笑)。流星ワゴンではロケに選ばれたお店です。お立ち寄りの際は遊びに来てください。