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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十三回 沼名前神社の能舞台
by 釜谷 勲 2008.3.24

 鞆の沼名前(ぬなくま)神社の境内に能舞台があります。この10月1日にここで新作能「鞆のむろの木」が上演されました。古典芸能で新作とは珍しいのですが、奈良時代に鞆でムロの木の歌を詠んだ大伴旅人(おおとものたびと)の亡霊と、江戸時代の学者の菅茶山(かんちゃざん)が幽玄の世界で昔語りをするという本格的な能楽でした。

 この能舞台は国宝や重要文化財として国の指定を受けている全国で3ヶ所(4件)しかない中の一つで、桃山時代の貴重な遺産なのです。組み立て式になっているのが特徴の1つです。屋根や床はパネル式です。梁(はり)や框(かまち)と柱を組み合わせるのに、釘を使わず、ほぞ穴に差し込む構造として、それぞれに番号、符号をつけて、分解、組み立てが容易で、持ち運びができるようにしてあります。プレハブ式建物の元祖です。
 法隆寺の大修理などで知られる宮大工棟梁の西岡常一さんが製作した能舞台の模型を、鞆の資料館で見ることができます。昭和30年代に明王院の解体修理のため福山に来ていた西岡さんが組み立て式に興味を持ち、その構造を模型として残したものです。

 この舞台の床下には、演能者がトントンと足踏みをした時の共鳴効果を高めるために、古備前の甕(かめ)が7個入れられています。高さ120センチほどの甕は地中に埋められているのではなく、一つひとつの甕の周囲に立てられた支柱に銅線で吊るされています。しかも、すべての甕が屋根裏の中央へ向けて、少し傾けてあります。外から見えないところでこんな工夫がされているのです。
 この能舞台を作らせたのは豊臣秀吉です。秀吉の戦争のやり方を見ると、大軍で敵の城を取り囲んだまま敵が降参するまで華々しい戦をしません。その間、将兵の退屈を慰めるために茶の湯や能楽を楽しんでいたようです。戦場への持ち運びのために移動用の組み立て式能舞台を作らせたのです。なんとのどかな戦争のやり方ではありませんか。

 その後、京都の伏見城に設置されていましたが、福山初代藩主の水野勝成が福山城を築く時、伏見櫓(やぐら)などと共に能舞台を拝領し、城内に移しました。さらに勝成の孫三代勝貞の時(1660年頃)、沼名前神社に寄進され、それ以来現在まで、鞆の夏祭りの最後を飾る神能祭(旧暦6月18日)に使用され続けています。
 城を築くのに櫓だけではなく能舞台まで拝領するくらいですから、水野勝成の能楽好きもかなりのものだったらしく、様々なエピソードが残っています。ある時、勝成は能楽の第一人者の喜多七太夫(きたしちだゆう)の息子で寿見(じゅけん)という能役者を呼び寄せ、「道成寺」を上演させようとしました。寿見は「道成寺」は息の合った者とでなければ難しいと、勝成の家来の鼓(つづみ)で舞うのを断ります。勝成のご機嫌を損ねてしまった寿見は夜逃げして帰ってしまいます。その後、天下の能役者である親の七太夫がわざわざ福山までやってきて、「道成寺」を舞ってご機嫌を直したと伝えられています。

 七太夫は能楽の流派の1つ喜多流の流祖で、7歳の時、その当時伏見城にあったこの舞台で「羽衣」を舞い、秀吉にその神技を愛されるようになったという因縁もあるのです。


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