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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十四回 山紫水明の処
by 釜谷 勲 2008.4.24

鞆には江戸時代の繁栄振りを示す町並みや景観がよく残っており、その繁栄を裏付ける文書類も豊富に残されています。

江戸時代、ユーモア小説『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』が大ベストセラーになったので、多くの続編が出版されました。その一つに『厳島参詣膝栗毛』があります。上巻のほとんどのスペースが鞆を舞台にしています。「この辺りに優れて繁昌の港なれば、陸の方、家居千軒あまり建ち続き、往来繁く、賑やかに見えたり…」と表現されています。

丸亀から宮島への滑稽な道中記なのですが、江戸弁と備後弁のセリフのやり取りがとてもリアルで、港の風俗や阿伏兎(あぶと)観音の風景描写も実に写実的です。作者の十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は実際に鞆に取材に訪れたとしか考えられません。

鎌倉時代の日記文学『とはずがたり』を始めとして、中世、近世の多くの紀行文などに鞆が書かれています。朝鮮通信使やドイツ人博物学者ケンペル、ドイツ人医者シーボルトなどの外国人によっても記録されています。そのすべての記録が鞆が瀬戸内きっての港町であったことを物語っています。

また、鞆の豪商たちは多彩な文人を招き、支援をすることが社会的な地位の証明と考えていたようです。ある種の見栄です。招かれた文人たちが書き残した書画が多数残されています。なかでも頼山陽(らいさんよう)ほど鞆に縁の深い人はないかもしれません。

ところで「山紫水明」という四字熟語をご存知と思います。「山色が紫で、流水が清い。山水の景色が清麗で、朝暮の眺望の殊によいこと」(大漢和)という意味です。漢字の本家の中国で生まれた熟語と思いがちですが、実は頼山陽によって鞆で創られた四字熟語なのです。山陽に詳しい作家の池田明子さんは、「山紫水明」は鞆で生まれたと唱えています。

中国でも王勃(おうぼつ=初唐の詩人)の文に「煙光凝暮山紫」とあったり、杜甫(とほ=盛唐の詩人)の詩に「残夜水明楼」とあったりするので、「山紫」も「水明」も個別には中国でも昔から使われていたのですが、四字熟語にはないようです。

文化11年(1814)鞆の豪商、大坂屋に招かれた頼山陽は求めに応じて、仙酔島に対面して眺望のよい建物を「対仙酔楼(たいせんすいろう)」と名付け、その経緯を『対仙酔楼記』に記しています。この『対仙酔楼記』の最後の行に、鞆の対仙酔楼の階上でこれを書いた、ここは「山紫水明の処」である、と表現しています。それ以前に「山紫水明」という熟語は、日本にも中国にも全く見当たらないのです。

頼山陽は暮れなずみ山々が紫色に変わる夕刻を晩酌に最適とし、夜が白々と明けて水が清らかに見える水明の時が読書に最適だとしていました。鞆は酒をたしなみ、読書を楽しむに適した景色、即ち「山紫水明の処」だとしているのです。山陽自身もこの「山紫水明」という表現が気に入って、後に京都の自らの書斎を「山紫水明の処」と名付けています。

対仙酔楼は鞆のシーサイドホテルの北隣に現存しており、『対仙酔楼記』は鞆の浦歴史民俗資料館の特別展「町人文化の栄華」に現在展示されています。


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