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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十五回 鞆のむろの木
by 釜谷 勲 2009.5.24

 大伴旅人(おおとものたびと)が天平2年(730 奈良時代)の12月、赴任先の太宰府(だざいふ 福岡県)から奈良の都へ帰任する途中、鞆の浦に船を寄せました。鞆の磯には「むろの木」という人目を引く巨木かありました。旅人はそのむろの木に亡き妻の面影を重ねます。

 あれは3年前、大宰府の長官へ転勤の途中鞆に立ち寄って、何千年もの命を長らえているこの霊木むろの木に、どうかあなたの長命にあやからせて下さいと妻と二人でお願いしました。今、むろの木は3年前と同じように高くそびえているのに、妻はあの年の夏に太宰府で亡くなってしまいました。どうしてこの世はこんなにも無常なのでしょうか。

「吾妹子(わぎもこ 私の妻)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき」

これは万葉集巻三に記されている大伴旅人の短歌です。着任早々に愛妻を失った旅人は酒と和歌に心の痛手を紛らそうとします。待ちに待ったはずの帰京にも、その目に映るものすべてが、亡き妻の思い出につながらないものはないのです。帰途、先の歌を含めて5首、家に帰り着いて3首、いずれも亡妻挽歌と呼ばれるせつない短歌が残っています。

 役職も大納言に、階級も従二位に栄進しました。時の権力者の藤原武智麿に並ぶ、大変な出世なのですが、心の中に二度と春が訪れることはなかったのか、半年後には妻の後を追いました。万葉集は亡妻挽歌に続いて、旅人の死を弔う従者たちの歌を載せています。

 むろの木は松杉科のモロギだとされています。鞆には大きな木はありませんが、金江町にモロギの巨木があります。鞆のむろの木は大きな木だったらしく、海の上からの目印になっていたようです。旅人の歌が有名になり、「むろの木」は歌枕(うたまくら 歌の名所)になります。万葉集は勿論、鎌倉時代まで短歌のテーマになりました。鞆には来なかったはずの源実朝(鎌倉三代将軍)までが「磯辺に立てるむろの木の…」と詠んでいます。
この「むろの木」の歌碑が対潮楼下に建っていますが、いわゆる万葉仮名ですので容易には読めません。ところが2行目の上の2文字「鞆浦」だけは読めるのです。これはこの歌が詠まれた1,300年前から、この地がトモノウラと呼ばれていて、今と同じ文字が使われていたことになり、鞆がいかに古い地名であるかという証明になっています。

 弓を射るとき左手首に巻いて、弦の跳ね返りを防ぐ武具を「鞆」といいますが、しかし、大陸文化の伝来によってもたらされた文字の中に、この「鞆」という漢字はありません。大陸にはそのような武具がなかったので、それを表す文字はないのです。

 このような日本で考え出された文字を、漢字に対して国字といいます。国字には鰯(いわし)、鰹(かつお)といった魚の名とか、凪(なぎ)など海に関するものが多いのは、中国大陸では海は辺境の地で、海にはあまり関心がなかったのでしょう。日本ではさらにその後、カタカナや平がなが発明され、漢字だけでは表現しきれない、繊細な日本独自の文化が発展するのです。万葉集はその日本独自の文化の最初に開いた華なのです。


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