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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十六回 日東第一形勝
by 釜谷 勲 2009.6.24

 異国の空で新年を迎える旅人は何を脳裏に浮かべるのでしょう。正徳元年(1711・江戸中期)の大晦日、朝鮮からの使節団の首脳部は鞆の対潮楼で宿泊し、新年を迎えようとしていました。
 第8次の朝鮮通信使で、徳川家宣の6代将軍就任への祝賀の国書を江戸へ届けた帰路です。総勢500人の大使節団だったと記録されています。
 当日朝、下津井を出港し、午後3時過ぎには鞆の港に着いたようです。 宿館の対潮楼の庭に腰掛を並べて、正使の趙泰億ら8人は美しい景色を、それぞれ詩に表現しあいました。その時の正使、副使、従事官の三人の七言律詩(7字8行の漢詩)が対潮楼内に掲げられています。当時はまだ対潮楼の名称ではありませんが、建物はほぼ現状のままです。
 故郷はるかな異国にも春がやって来て、雁も故郷に帰ろうとしているという意味の1節があります。また「秋風尽きずして高きに登り興ず また新年の柏葉の杯に酔わん」これは正使の詩の最後の2行です。
 往路、高い所に登ると縁起が良い9月9日(重陽の節句)にこの対潮楼に登り、どのような因縁なのか帰路また、ここで新年の杯を挙げることになろうとは。といった異国の美しい景色を背景にした望郷の詩です。
 そうこうしているうちに夕方になり、ここの眺めが日本で一番の景色ではないかということになり、能書家の従事官、李邦彦が「日東第一形勝」の六文字を大書しました。
 傍にいた通訳が驚いて、対馬から江戸までの道中には、ここにも劣らない景色があったのでは、と問いかけました。すると、ここにいる8人の16の眼で確かめたのだ、と答えたというエピソードが残されています。
この6文字の木額も対潮楼の室内に掲げられています。この書は往路に書かれたという説もありますが、この論議には今は触れないでおきます。
 その時より56年前、明暦元年(1655)第6次朝鮮通信使の従事官、南龍翼も鞆の印象を次のように書いています。
「福禅寺(対潮楼のある寺)に宿所を定めたが、高く広々として明るいことが比ぶべくもなく、滄海を俯瞰して眼界が千里だけではなく、遠く近くの島々が天の果てに隠々として、雲の間に明滅していた。(略)もし海路の景色を論ずるならば、正に此処を第一と為すべきであり、洞庭湖(中国湖南省の名勝)と互いに雄を争うべきものである」(『扶桑録』若松実訳)
 なにしろ鞆の浦が日本で1番の絶景だと言うのですから、この「日東第一形勝」が鞆の金看板になります。観光の宣伝文句だけではありません。明治45年(1912)に作られたと思われる鞆小学校の昔の校歌は「日東第一形勝の その名も高き鞆の浦…」と歌い出します。昭和20年頃まで歌われていたので、年寄りの同窓会では大合唱になります。
 小学生だった私たちはこの6文字が朝鮮通信使によるものだとは知りませんでした。1910年に日本が韓国を併合したばかりで、朝鮮人蔑視がひどい時代です。併合の一ヵ月後に教育長から、全校生徒を集めて、蔑視しないようよく注意をせよとの訓令が、各小学校長宛に発せられているくらいです。
 そんな時代背景の中で韓人の書いた「日東第一形勝」を無上の誇りとしたのは、国際港として栄えた鞆ならではないかと、改めて思うのです。


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