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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.2.27

異業種リレーの『わ』No.500 有限会社シャルム 菊寿堂 福田 陽子さん


今回は、「有限会社前岡呉服店」若女将、前岡絵利さんのご紹介により、「有限会社シャルム 菊寿堂(福山市松永町4-14-20 TEL.084-933-3523)」福田陽子さんに登場願いました。

 

みんなに愛され気軽にご利用いただける
和洋菓子店で有り続けたい!!

…沢山の貴重な体験で成長できました
 福山市新市町で生まれ育ちました。明るくてよく喋る活発な女の子でした。祖母と叔父、両親の5人家族のひとりっ子でした。近所の同年代の友達と野山で元気に遊んでいました。両親は働いていたので祖母や叔父、近所の方々に可愛がられて育ちました。特に隣のお爺ちゃんお婆ちゃんには良くしていただきました。お爺ちゃんが元料理人だったので、お刺身をはじめ色んなご馳走を食べさせてもらいました。とっても美味しくグルメな幼少期を過すことが出来ました。好き嫌いはありませんが、鯉料理は苦手でしたね。川や池の鯉を想像してしまいます。そうそう、衝撃だったのは鶏のササミだと言われ食べたお肉です。「これはカエルよ、食べたの?」とお婆ちゃんに言われたことです。カエルが雨の日に池から出てきて車にひかれてペッチャンコになり生臭さかったのを思い出しました。そのあとのおじいちゃんのトドメのひと言が、「大丈夫だよ、食用のカエルだから」その言葉で夜「グーグー」鳴く子守唄代わりだった、大きな「しょっこん(食用ガエル)」を思い出し泣きそうになったのを今でもよく覚えています。小学校での思い出は自転車かな?コマなしの自転車に乗れるようになったのが少し遅かったと思います。自転車が貰い物のお下がりで私の身体には少し大きくて、しかも錆びていたので気に入らず、ほとんど乗っていなかったからです。ある日、近所の男の子が「俺の自転車を貸してやる」と特訓をしてくれました。お陰で自転車に乗れるようになりました。このことが無かったら未だに自転車に乗れていないかも知れません。勉強は好きではなかったですが、それなりにはやっていました。得意は家庭科と体育でした。5・6年は鍵っ子の私を気にかけてくれた担任の熱血先生のお陰で楽しく学校に通えました。中学では父の影響で水泳部に入りました。父は泳ぎに関してはスパルタ式でした。海水浴に行っても沖まで連れて行かれ浮き輪無しで泳がされました。でも水泳部の本格的な活動は夏だけなので段々と帰宅部になっていきましたね。中2の時に母が入院し、学校を休みがちになりましたが幼馴染や仲のよい友人のお陰で楽しく中学生活をおくることが出来ました。

…気配り、思いやりを学ぶ
 高校は普通科か商業科で迷いました。先生も家に来て相談にのってくれましたが、父と先生に最後に決めるのは自分だと言われ商業科に進むことを決意。地元の公立高校に入学しました。クラブは新人の先生が立ち上げた新体操に入部しましたがすぐに先生は寿退職、所属しているだけの帰宅部でした(笑)。仲良し8人組が代わり交代でいつも一緒でした。学校の帰りに駄菓子屋でお菓子を買って私の家でおしゃべりするのが日課のようになっていました。家の家事、洗濯やお風呂は私の担当なので、皆が来てくれることは私にはありがたかったですね。この頃は五右衛門風呂に薪をくべて沸かすのはプロになっていました。卒業してからは繊維会社に入社。受注や出荷、売上伝票を管理する事務の仕事を任されました。歳の近い先輩のほとんどが寿退社でいなくなり任されることが多くなった時は大変でしたが、歳の離れた先輩や上司に妹や娘のように可愛がっていただき楽しく仕事が出来ました。親戚の叔母さんの紹介で主人に出会い5年間勤めた会社を退社、1年後に結婚しました。主人は洋菓子の職人で、千葉で修行をして、知り合う2年前にお父さんの和菓子屋に洋菓子部門を導入「シャルム菊寿堂」として新装オープンしたばかりでした。結婚前に勉強のため一足早くお店に入り私の菓子修行が始まりました。初めてのことばかりで大変でしたが主人や義母、義妹さんに助けてもらい頑張れました。常連のお客様や地域の方に支えられ3人の子どもにも恵まれ色んなことがありましたが、あっという間に24年が経ちました(感謝)。これからも主人と力を合わせ義父さんにも力を借りながら地域のイベントにも参加し、新商品や新企画にチャレンジして行きます。ちょっとした手土産からお使い物、おやつ、自分へのご褒美など、気軽にご利用いただける和洋菓子店で有り続けたいと思います。


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