ぷれこweb
ぷれこサイト内検索!
Loading

Prekoトップページ > 異業種リレーの『わ』 > 異業種リレーの『わ』No.495 中華料理 桜華 店主 花森 滋也 さん
異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2015.1.9

異業種リレーの『わ』No.495 中華料理 桜華 店主 花森 滋也 さん


今回は、「Jam」オーナー黒瀬 昌俊さんのご紹介により、「中華料理 桜華(福山市御幸町森脇433-13 TEL.084-955-1559)」店主 花森 滋也さんに登場願いました。

 

感謝の心を忘れず、皆様が喜んでくれて、可愛がっていただけるお店を目指します!!

…恵まれた全てに感謝
 母の里、三原市の久井町で生まれました。6歳上の姉と4歳上の兄の3人兄姉です。父の仕事の関係で大阪に住んでいましたが、3歳のときに久井に引っ越して来たので大阪の記憶は全くありませんね。もの心ついてからは山や川、自然がいっぱいの環境で育ちました。お陰で幼少の頃から活発で元気いっぱいでした。近所に同年代の友達が少なかったので兄や年上の友達について遊びました。毎日、野山を走り回っていました。今ではタブーですが肝試しに山の崖の上を渡って遊んだりもしていました。常に生傷が絶えませんでしたね。4歳の頃、家の前に停めてある車に乗って遊んでいてサイドブレーキを下ろしてしまい3メートル下の田んぼに車を落として廃車にしてしまいました。勿論、私は乗ったままでしたが幸いかすり傷ひとつありませんでした。この時は大事でしたが今では笑い話です。小学校に上がってからは同級生の友達も増えました。とは言いましても学年で男子10名と女子17名の計27名です。武道をやっていた父の影響で兄について始めた空手とリトルリーグの練習はどちらも厳しかったです。野球は2年でやめましたが空手は5年生までやりました。冬は海に腰まで入る寒稽古と火の上を歩く荒稽古と言うよりは荒修行が一番思い出に残っています。この稽古は始めるまでの覚悟と気合が大切ですね。空手がやんちゃな私を鍛え育ててくれました。中学ではバスケット部に入部しました。弱いチームだったので目標は大会の初戦を突破することでした。3年生でレギュラーになり何十年かぶりに初戦を勝つことが出来ました(嬉)。中2から友達3人でバンドを組みました。私の担当はドラムでした。暇を作っては練習していました。英語と数学の塾には3年間通いましたが勉強はとうとう好きになれませんでした(笑)。高校は地元の公立高校に進学しました。クラブには入らずに帰宅部でした。直ぐに原付の免許を取りスクーターで三原の駅近や世羅まで出掛けては遊んでいました。この頃もバンドは続けていました。ボウイやブルーハーツのコピーで文化祭でヒーローになった気分を味わいました。アルバイトもやりましたね。同級生のお母さんに誘われ割烹料理の店で2年、親戚のガソリンスタンドで1年、半分は社会勉強、半分は楽しく働きました。バイトか遊んでかばかりで相変わらず勉強は嫌いでしたが良い先生に恵まれたお陰で自分なりにですが真面目に通いどうにかこうにか卒業出来ました。

…頑張らんといけん
 卒業後は就職と言うよりは手に職をつけたいと思いました。バイトの経験を活かし料理か車関係のどちらかで頑張りたいと悩みました。そして、出した答えは料理でした。独立を目標にした決意でした。父の知人の紹介で大阪の中華料理店にお世話になることに決まりました。不安もありましたが、一人暮らしが嬉しかったのを今でも良く覚えています。このお店は毎年、調理学校の卒業生しか取らない有名店でした。包丁を持つのは初めて、とにかく必至でした。父と紹介してくださった方の顔に泥を塗るわけには行きません。「頑張らんといけん!」この想いが私の決意をより固めてくれました。最初は気持ちだけが焦り失敗の連続でした。手にはやけどや切り傷だらけでした。難関は関西弁とその口調の早さで慣れるのが大変でした。師匠や先輩には聞き直すことが出来ますがお客様にはそうはいきません。良い常連さんになればなるほど人が良い分気性が荒く、聞き直そうものならたちまちドヤされます。師匠や先輩がフォローしてくれて何とか克服出来ました。ここで約8年間、中華のいろはを徹底的に学ばせていただきました。その後、大阪の中国料理店に1年勤め福山に戻り独立の貯金と準備のため府中のラーメン店と派遣で3年働き、2008年4月11日にここ御幸町で中華料理「桜華」をオープンさせていただきました。オープン当初は売上も思うように上がらず大変でしたがお客様や家族に支えられ今年で7年を迎えることが出来ます。これからもお客様を始め皆様への感謝を忘れず喜んでもらえるメニューやサービスで恩返し。皆様が可愛がってくださるお店を目指して「頑張らんといけん」!!


海と山のアート回廊
バスツアーのご案内