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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.11.27

異業種リレーの『わ』No.491 株式会社エバケアー取締役 小方 良祐 さん


今回は、「金尾本店」新田 明弘さんのご紹介により、「あいのり(福山市日吉台2-5-23 TEL.084-940-5133)」取締役 小方 良祐さんに登場願いました。

 

心から「ありがとう」と言われる様、真剣に取り組み成長していきます!!

…やると決めたらとことん
 北九州の小倉で生まれました。0歳の時に父の仕事の関係で福山へ引っ越しました。幼少の頃から自然体で飾らない性格だったので周りからは生意気でえらそうに映ることが多かったのではないかと思います。小学校に上がってからは友達も増え、遊ぶのが楽しくてたまりませんでした。学校から帰るとすぐに遊びに行きます。自分で納得できないと一所懸命になれず、指示や指摘を受けると天邪鬼でやらない性格だったので先生に怒られない日はありませんでした(笑)。でも、朝一で怒られるのは嫌なので宿題だけは6時に早起きしてやっていましたね。そんな私が唯一はまったのがミニ四駆でした。エンジン部分になるモーターを積み替えたり、電池はアルカリ、中でも特にパワーの出るメーカーを探したり、タイヤやボディーにもこだわりました。改造を加えてはレースをしていました。中学に上がってからはスラムダンクと友人の影響でバスケット部に入りました。山の上の学校だったので基礎練習は学校の外周を走ることでした。起伏が激しくめちゃくちゃきつかったです。やめようかと思ったこともありましたが、顧問の先生との出会いで頑張れました。恐いけど愛いっぱいで信頼できる素晴らしい方でした。先生の方針でバスケ部は文化祭や運動会などの行事に積極的に参加しました。3年の時に私は生徒会の副会長も経験させていただきました。お陰でものの見方や考え方、そして仲間との絆、信頼の大切さ学ばせていただきました。この三年間が今の私の基礎をつくり上げてくれたと言っても過言ではありません。高校時代はクラブもすぐに退部。興味が涌く何かに出会えず、3年間、帰宅部で遊んでばかりでした。その代わりに毎学期末は補習三昧でした。進路は周りから進学を諭され受験。広島市内の大学に進むことになりました。バイトと合コンに明け暮れてやろうなんて思っていましたが、ヒップホップに魅せられ、女の子にもモテるかな?なんて軽い気持ちでダンス部に入りました。しかし、練習は厳しく毎日クタクタでした。バイトもお好み焼きの配達や荷物の仕分けと色々やりました。ダンスの大会や行事があるとバイトを休み何時間も踊りこみます。一番の思い出はフラワーフェスティバルの大会で優勝したことです。それがきっかけで広島市長からの要請で姉妹都市縁組をしている韓国の大邱(テグ)市のお祭りのステージで日本代表として踊ることが決まりました。それが新聞の一面を飾り、学長からも大賞賛していただきました。日本代表のプレッシャーを跳ね返すにはそれ以上の練習しかありません。毎日のようにオールナイトで踊りこみました。とにかく必死でした。甲斐あってステージは大成功。感激してみんなで大泣きしました。今でも思い出すと目頭が熱くなります。やり抜き成し遂げる素晴らしさを学んだダンス、ダンス、ダンスの4年間でした。

…心から喜びに会いたくて
 就職は東京のIT関係のベンチャー企業に入社しました。出来の悪い新入社員だったと思います。テレアポを約1年、営業を1年やった頃に仕事って喜んでもらえること?と、なんとなく分かったような気がした時、仕事が面白くなり途端に契約が取れるようになりました。そして、会社始まって以来の大口契約もいただけました。社長にも誉めていただきました。2年半で主任に昇進できた時でした…以前から気になっていた祖父母の介護が大変になり、母の広告会社を手伝うことを決意。福山に戻りました。そこでリハビリ型在宅療養マッサージ(要介護や身障者の方を医師の指示の下に国家資格を持った施術者が自宅や介護施設に伺いリハビリやマッサージを行ないケアする)の仕事を知りました。ケアを受けて喜ぶ祖父母の姿を見て母のように介護で大変な思いをされている方のお手伝いが出来ればと思い、2010年に現会社を設立し、後に広告会社は整理、私も勉強しながら相談員として必死でした。皆様に支えられ、あっという間に2年が過ぎました。これからも初心を忘れず困っている一人でも多くの方に私どものサービスを知っていただき、常に笑顔と誠実、感謝を忘れず、ご利用いただいた方に心から「ありがとう」と言っていただける様に真剣に取り組み企業としても成長して参ります。