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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.10.30

異業種リレーの『わ』No.488 介護タクシー うつみ島開業準備室 代表 中島 俊彦 さん


今回は、「クマノ電業」百済 昌宏さんのご紹介により、
「介護タクシーうつみ島開業準備室(福山市内海町イ-2118 TEL090-3747-9874)」代表 中島 俊彦さんに登場願いました。

 

みんなが笑顔に元気になれるタクシーをつくります!!

…やる時は何でも一所懸命
 長崎の伊王島で生まれ育ちました。軍艦島と同じで炭鉱で栄えた町で、長崎市内に一番近い島です。幼少の頃から活発で元気いっぱいの子どもでした。海に潜ってサザエを獲ったり魚釣りをして遊びました。台風の後の高波に身体をサーフボードにして乗るのはスリル満点で最高に楽しかったです。小学校の時は身体を鍛えたくて豆腐の行商のアルバイトをしました。豆腐60丁を2つに分けた桶に水を張って天秤棒で担いで売り歩きます。忙しい時は3往復で200丁近く売ります。高学年になってからは製造の方もやらせてもらいました。午前2時から登校までの約6時間働きます。えっ夜は早く寝るのかって?夜遅くまで遊んでいましたね(笑)。昼間は近所の自転車屋さんの仕事も手伝い、代わりに自転車やオートバイの廃車の部品をもらいそれを組み直して自転車やバイクを作って遊びました。中学に上がってからは野球部に入部しましたが2学期に母の仕事の関係で長崎市内のマンモス校に転校しました。すぐに仲良くなった友人と遊びたくて野球部には入りませんでした。小中と勉強は大嫌いでしたね。納得出来ないとやらない性格なので宿題もせずに遊んでいたので、職員室でよく正座をさせられました。イタズラをしては「またお前か」と怒られてプラスチックの物差しで殴られていました。差しが折れるとギザギザに短くなり破壊力が増すのです。痛かったのを昨日のことの様によく覚えています。今では良い思い出です。高校は市内の県立高校へ進みました。野球部に入りましたが遠投で肩を壊し、やむなく退部しました。遊びは勿論ですが何をやるのも熱く一所懸命でした。それが良かったのか先輩には可愛がられましたね。

…仕事を通じて沢山の学びを
 卒業してからは叔父のタービンを分解して掃除する会社に入社しました。仕事はきつかったですがやりがいがありました。「仕事とは自分自身を磨き高めてくれるもの」それがわかるので頑張りました。月の残業は200時間以上で休みも取らずに一所懸命でした。しかし、体調を崩してしまい1年半で退社しました。しばらくして家具やじゅうたんを中心に扱うインテリアの会社に就職しました。ここでは責任者として営業や仕入れ、マネージメント、スタッフの育成、クレーム処理など、いろんな仕事を任せていただきました。楽しくいろんなことを学びました。その後も建物管理や電気関係、ドライバーなど様々な仕事で自分を試し沢山の学びをいただきました。これから開業スタートしようとしている介護タクシーの仕事は井原市の芳井町でやっていた椎茸や明治ごぼうの栽培がきっかけです。作物は沢山収穫できるだけでは味や栄養が低く売れません。手間暇かけて美味しいだけでも利益が出ません。美味しくて栄養価が高く利益の出る歩留まりを考えながらでなければ成り立ちません。その時学んだことは人間も穀物も同じで少々過酷な試練を乗り切らなければ立派にはなれません。その生育を手伝うのが私たちの仕事です。そんな自然の素晴らしい環境で働いていると故郷が恋しくなり、自然の中で暮らしたいとの想いに駆られるようになっていました。「出来れば故郷のような海の近くがいいな?」そんなある日、ここ内海に出会いました。島に魅了され何度か訪れるようになったある日、島のお年寄りが買い物や病院に行くのが大変なことを知りました。私も60を過ぎ、何か人の役に立ちたいと考えてました。そして、介護タクシーを思いついたのです。「これだ!これならお役に立てる」島のお世話になっている方に話したところ、是非成功させてほしいと激励をいただきました。そして、同時にこの島に住めることになりました。今年7月に妻と引っ越してきました。この島は自然の恵みがいっぱいで最高です。今はタクシーが便利に安く快適に利用出来るようにと介護の法律や仕組みを勉強しながら、ヘルパーの資格を取るために学校に通っています。いろんな方のお知恵を拝借しながら「こんなタクシーを作ってくれてありがとう、なくなると困る」と言われる事業にしていきます。楽しみにしていてください。


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