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タイムカプセル鞆の浦

タイムカプセル鞆の浦
第十八回 黒船来航と保命酒
by 釜谷 勲 2009.9.23

鞆の特産品といえば保命酒(ほうめいしゅ)です。昨年、小学校で鞆を題材にしたいろはカルタを募集しました。その中に「その昔 ペリーが乾杯 保命酒」というのがあります。  鎖国政策をとっていた日本の固く閉ざした扉をこじ開けて、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に現れます。今から153年前の嘉永6年(1853)のことです。 「泰平のねむりをさます正喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜もねられず」  正喜撰というのは上質の茶の銘柄で、飲むとカフェインのせいで寝られない事にかけて、たった4隻の蒸気船(黒船)の来航であわてふためく世相を風刺した当時の狂歌です。  翌嘉永7年、今度は7隻の艦隊を引き連れて横浜へやってきたペリーは、その武力を背景に日米和親条約を押し付けます。さらに下田港開放についての細目を規定する下田条約を結ぶため、下田に回航します。この時の下田での接待の席に鞆の保命酒が提供されているのです。韮山(にらやま)代官所の記録(下田御用日記、3月廿4日付)に記載があります。  ハリスが初代の駐日領事として、安政3年(1856)に下田に着任しますが、この応接の献立にも、保命酒が記録されています。このことは保命酒が幕府ご用達のリキュールであったことを示しています。また、当時の幕府のナンバーワン老中だった福山藩主、安部正弘にへつらって福山藩の産品を用いたとも考えられます。ペリーを接待する席に保命酒が提供されたのだから、ペリーが保命酒で乾杯しただろうというのが冒頭の句なのです。  その時からさらに200年ほど前、大坂の生玉神社の傍にいた医師の長男吉兵衛が大洪水の罹災で、知り合いを頼って鞆へ流れてきます。吉兵衛が研究していた薬酒を保命酒と命名して、鞆で製造販売を始めたのは万治2年(1659)の3月です。保命酒は16種の生薬を調合して漬け込んだ漢方薬酒です。宝永7年(1710)には徳川幕府から専売特許を認められ、東西の行き交う船が必ず立ち寄る鞆の港の名産品として有名になりました。  ところが明治時代になると幕府がなくなるので、保命酒の専売権も消えてしまい、競争相手も多く現れます。その多くの中の勝ち組みが、保命酒に良く似た名前の某薬酒メーカーです。幕府や福山藩の後ろ盾をなくした元祖の保命酒屋は没落してゆくしかありませんでした。しかし、地元の鞆では現在でも自家で保命酒を製造している酒店が6軒あります。  元祖の保命酒屋の製法は一子相伝の秘法とされ、調合法など正確には書き残されていません。従って風味も各店それぞれ微妙に異なりますが、用いられる生薬はほとんど共通で、その主な働きは滋養強壮と心の安らぎに効用があると言われています。  医食同源の国、中国や韓国からの観光客には、この保命酒が鞆の歴史や風景よりよほど気になるようで、観光はそこそこにして保命酒の店に急ぎます。16種の生薬の一つひとつについても私たちよりはるかに詳しく、常用していることがうかがえます。漢方薬の本場、中国では何百種類もの薬酒があるそうです。  韓国の方たちを案内して保命酒の店に入った時のことです。彼ら同士の会話の中で唯一聞き取れた単語が「パイアグラ」でした。


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