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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.8.22

異業種リレーの『わ』No.481 ㈲ビニックス福山 代表取締役 坂田 博幸 さん


今回は、「㈲デザイン サード」代表取締役、佐藤 安彦さんのご紹介により、「㈲ビニックス福山(福山市南手城町1丁目23-18 TEL.084-928-1878)」代表取締役、坂田 博幸さんに登場願いました。

 

ご縁を大切にお客様の笑顔を糧に
日々精進いたします!!

…一業に徹する素晴らしさ
 山口県の旧玖珂群和木町で生まれ育ちました。どちらかというとおとなしい性格だったと思います。兄3人姉2人の6人兄姉の末っ子です。自分で言うのもなんですがとても可愛らしい子どもでしたね(笑)。近くの小瀬川で魚を獲ったり、泳いだりして遊びました。小学校に上がってからはロクムシや三角ベースをして遊びました。たまにですが、遊びがすぎて宿題を忘れることがありました。そんな時は先生に細い竹のムチでたたかれます。めちゃ痛かったのを昨日のことのように覚えています。中学では兄の影響をうけてバレーボール部に入りました。1年の時はボールに触ることすら出来ません。地元では強いチームだったので練習や特訓は特に厳しかったですね。腕立てに腹筋は当り前、うさぎ跳びやカエル跳びでグラウンドを何周もまわらされます。毎日ヘトヘトでしたね。日曜日も休みなく練習があります。2年でやっとボールにさわることが許され、3年でやっとレギュラーになれました。夏の大会ではどうにか県大会まで進めました。中学=バレーでした。高校は地元の工業高校を受験しました。勉強は好きではありませんでしたが一応はやっていたので、なんとか合格できました。高校では帰宅部で友人と思い切り遊ぼうと思っていました。しかし、中学のときの先輩が私を待っていました(涙)。やむなくバレー部に入部。中学に比べて上下関係や練習、特訓(しごき)は更に厳しくなりましたね。歯を喰いしばって頑張りました。弁当時間にある先輩の学級訪問はこの学校のしきたりのようなもので全員立たされて服装や挨拶、言葉遣いについて先輩から注意をいただきます。今では良い思い出ですね。高校では9人制が6人制のバレーに変わり最初は戸惑いましたが私には6人制のほうが向いていたのか2年生でレギュラーに選ばれました(嬉)。3年生になる時に楽しそうに遊びの話をしている友人の誘惑に負けてしまい、先輩も卒業するしこの機会に退部して「残りの1年を遊ぼう」と思い退部届けを出しました。これでやっと遊べるとワクワク感と罪悪感が半々で家に帰ると、顧問の先生に家庭訪問されていました。「お前にはキャプテンとして頑張ってもらうつもりだ、ご両親にも今お話してお願いしたところだ…」びっくりしたのと同時に先生の熱い想いに感動(涙)。リーダーとしてみんなをまとめ最後まで頑張る決意を固めました。お陰様でチームワークの大切さとリーダーシップの必要性を学ぶことが出来ました。成績も歴代最高位の県大会6位の実績を残すことが出来ました。中高6年間バレーボール一筋に頑張ることが出来、このことが今の私の礎を創ってくれたと感謝しています。

…ご縁を大切に日々学ぶ
 卒業してから大手製鉄会社に就職しました。26歳の時に友人に誘われて始めたスキーを通じて知り合った今の妻と結婚しました。そして、妻の実家で仕事を手伝うことになり、会社を退職しました。お世話になった8年間で商品の製造や検査、管理の仕組みを学びました。実家の業種は木製やアルミ建具の販売です。沢山の種類とサイズに合わせ寸法がメートル法から尺や寸に変わるのでかなり戸惑いましたね。種類や寸法を間違えて大失敗したこともありましたが大工さんや工務店さんに叱られながらも温かく教えてもらいました。子どもが学校に行き始めたのをきっかけに子ども会の会長、中学ではPTAの会長もやらせていただきました。みんなに助けてもらい銭金ではなく誰かのために役に立つ素晴らしさとコミュニケーションの大切さを学びました。そんなある日、取引先のアルミ建材メーカーさんから福山の総代理店をやってほしいとの話をいただきました。迷いましたが独立を決意、平成5年に有限会社ビニックスを立ち上げました。仕事の役割や範囲も広がり取り扱い商品も一気に増え大変でしたが、皆様に応援していただき今日まで頑張って来れました。これからもお世話になった方々のご縁を大切にし、お客様の喜びを糧に手城町、福山を中心に地域に密着したアルミ屋として日々精進、頑張って参ります。