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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.7.22

異業種リレーの『わ』No.478 ㈱ビジネスソフト社 代表取締役社長 井上 幹雄 さん


今回は、「㈱小川長春館」代表取締役社長、小川 隆さんのご紹介により、「㈱ビジネスソフト社(福山市吉津町5番8号 TEL.084-923-7522)」代表取締役社長、井上 幹雄さんに登場願いました。

 

一所懸命と日々挑戦!必要とされるオンリーワン企業を目指します!!

…一所懸命そして夢中
 福山で生まれ育ちました。姉と弟の三人姉弟の長男です。小さい時から体が弱く、よく風邪をひいたり、バスや車に乗ると決まって酔っていました。小学校に上がってもみんながやっていたソフトやドッヂボールは楽しくやりましたが、スポーツ全般に苦手意識がありました。その分勉強は嫌いではありませんでした。小学校の一番の思い出は理科の先生と一緒に夜まで日光写真のフィルムを作ったりしたことです。遅くなった時は父が迎えに来てくれたのを今でもよく覚えています。中学になってからは姉がテニス部だったことを先生にも言われテニス部と化学部、音楽部に所属していました。音楽部はチェロを担当しましたが思うように演奏できず所属しているだけでしたね。1年生のときは小学校の理科の先生の影響か化学部での活動が中心でした。実験をしたり火薬を作り鉛筆のキャップに詰めロケットを製作しました。100~200mも飛ぶロケットに夢中でした。2・3年は友達に誘われテニスが面白くなりはまりました。お陰様でスポーツの苦手を克服、というよりは食わず嫌いだったことが発見できました(笑)。その反面、勉強がおろそかになってしまい、高校受験は志望校を諦め府中の進学校に入学しました。このことに劣等感を感じたのを昨日のことのように思い出します。1年生の時はテニス部で頑張りましたがどうしても肌に合わず退部。すぐに空手部に入りました。入部のきっかけは友人の誘いが一番ですが健全さと下校時に隣校のグループに絡まれたことが理由の中にあったと思います。練習や組み手は寸止めでしたが、直接打撃をもらうことが多く口の中を切ったり打撲は日常茶飯でした。家でも巻き藁を立て自主トレをしていました。こぶしは生傷が乾く暇がありませんでした。この時、少しマゾっ気もある自分を発見しましたね(笑)。

…更なる自分探し
 大学は千葉の国立大学を受験しますが一浪することに。予備校に通いますが自分の意思の弱さから遊んでばかりいました。結果2浪を余儀なくされました。父にもう一年、真剣に頑張れと諭され、決意!誘惑の少ない和歌山の予備校に入学し必至で勉強しました。あとが無いので一所懸命でしたね。甲斐あって苦手な数学も好きになり勉強を楽しんでいる自分を見つけました。高校時代からの劣等感やコンプレックスよりも親や周りへの感謝が大きくなった時「六大学を目指そう」自然にそう思いました。何とか、志望大学の商学部に合格できました。フォークソング倶楽部に入りブルースのエリック・クラプトンに憧れバンドを組んでマイク・ブルームフィールドやビートルズのコピーをやりました。また、吉川英治の宮本武蔵に魅せられ、夏休みに三原の佛通寺の座禅会に申し込みました。朝は4時起床、掃除から始まり座禅三昧、説法も食事の時も座禅です。終わって床につくのは夜中の0時過ぎ。睡魔と足の痛さに逃げ出す者もいました。そんな中で一瞬の心地よさを噛みしめる自分に出会えました。就職は東京の商社に内定が決っていましたが、父から福山へ帰るように言われ福山の農協に入社、ここで3年間、金融や幹部の勉強をしました。その後、縁あって税理士事務所に就職。経営や決算の分析を担当し経営の改善のため各企業に出向、社長もさせていただきました。30歳の時、割箸の会社で全国を回っているときに情報社会の到来を察知、「パソコンの時代が来る!」約1年間コンピューターを猛勉強。義理の父の眠らせていた会社を社名変更し今のビジネスソフト社を立ち上げました。まずは独自の会計や決算のソフトを作成しました。学生時代の学びを実学する連続でした。公私共に何にでも一所懸命に挑戦することで新しい自分に会える、発見がある。スタッフや仲間、家族に支えられ今日まで頑張って来ました。あっという間の30年でした。IT業界は今大きな転換期にあります。これからは、クラウド・モバイル・ソーシャルの最先端を走る世界No.1の顧客管理・営業支援システムを活用して、時代環境に適応した価値あるソフトで福山発のオンリーワンを目指します。


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