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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.7.11

異業種リレーの『わ』No.477 ㈱小川長春館 代表取締役社長 小川 隆 さん


今回は、「池田塾」塾長、池田 伸一さんのご紹介により、「㈱小川長春館(福山市引野町5丁目4-23 TEL.084-641-0230)」代表取締役社長、小川 隆さんに登場願いました。

 

特殊技術と学びをコラボ、これからの社会に役立つ企業を目指します!!

…一所懸命に楽しむ
 福山で生まれ育ちました。外で元気に遊ぶわんぱく小僧というよりは悪ガキという言葉がピッタリの子どもでした。福山城の石垣を素手で命綱無しでよじ登っていました。今ならテレビ局や新聞社が来て大騒ぎですよね。第一次のベビーブームで同級生も多く、いろんな面で競争が激しく何事も少々では目立てませんからね(笑)。遊びといえば当時は野球も盛んでしたが、なんにも要らず校庭の隅に円を書くだけで出来る相撲をよくやりました。変幻自在の相撲をとることからマムシと呼ばれていた栃錦(とちにしき)が大好きでした。小さい身体で大きな相手を豪快に投げた時は気持がいいですよ。あっ!あと変わっていると言われるのですが脱脂粉乳が好きでした。みんな口をそろえて「不味い」と言います。でも美味しいと感じたのは私だけではないと思いますよ。父の影響もあり、5年生から剣道を習い始めました。一所懸命の甲斐あってか、いきなり八幡神宮の大会で優勝しました(嬉)。中学には剣道部は無いと聞いていましたが私の入学に合わせたかのように剣道部が発足、迷わず入部しました。転任の顧問も噂どおりの素晴らしい先生で〝掛がり稽古〟を中心に指導していただきました。厳しい練習の成果は早く、新生剣道部は1年足らずで市内では向かうところ敵なしと言われる強豪にまで成長できました。勉強も嫌いではありませんでした。特に数学は好きでした。鉛筆か竹刀のどちらかを持っている毎日でしたが、それを時々釣竿に持ち変えることもありました。芦田川と海の境に出掛けボートを借りて魚釣りをします。まだ河口堰が出来ていない時代でそこは魚介類の宝庫でした。泳ぎが得意な私は海にもぐり仕掛けの場所を魚が沢山いそうな岩陰に移動して大物を沢山釣りました(笑)。高校は進学校を受験。クラブは勿論、剣道を頑張りました。高校での思い出は真冬の朝6時から痛冷たさを堪えて頑張った寒稽古です。これは今でも良い思い出話です。でも一番は宿命のライバルとの対決です。県大会で迎えた準決勝は拮抗した試合になり、両者一歩も譲らず3本勝負と延長戦でも決着がつかず、くじ引きで3位になった悔しい思い出があります。3年の6月には引退し受験勉強を始めました。なんとか東京の志望大学の理工学部に合格できました。大学は授業、実験、レポートの繰り返しに追われる毎日でした。でも忙しい中にも貧乏旅行ではありますが毎年のように北海道、九州、東北と出掛ける楽しい大学時代でした。作家志望の親友に奨められ、月に40冊くらいのペースで文学全集を読みあさったこともありましたね。卒業後は大学に残り、先生の助手をしながら他校の大学院への入学を試みることにしました。

…特殊技術と学びのコラボ
 結局2校の大学院で10年間学び、博士課程の単位を取得。博士号の取得まで頑張り、この道を極め天職にすることも考えましたが途中で挫折し、32歳で結婚を機に福山に帰り、祖父が大正8年に創業、父が経営する体育施設総合メーカーの小川長春館を手伝うことになりました。まずは社長と兄の下で社内規則の見直しや営業、現場を夢中でやりました。1992年に父が他界、兄は跡を継ぐ気がないことを知らされビックリ!1993年に決意を固め代表取締役社長に就任しました。間無しに下請けの会社が溶接の火が原因で火事を起こし親会社が責任を取ることになり補償やら何やらで倒産の危機に陥りました。そんな時、従業員や仲間、後輩が力や智恵を借してくれました。お陰で何とか倒産の危機を乗り越えることが出来ました。経営を引き継いで今年で21年、皆様に支えられ今日まで頑張って来れました。これからは私どもの技術と大学院での学びを活かしコラボ、高齢者の方や災害時に役立つ自助、共助商品の開発に取り組み、これからの社会のお役に立ちたいと考え、新たなスタートを切らせていただきました。


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