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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.6.26

異業種リレーの『わ』No.476 池田塾 塾長 池田 伸一さん


今回は、「㈲すみだ ビジネスイン福山」取締役、住田 泉さんのご紹介により、「池田塾(福山市青葉台2丁目11-28 TEL.084-947-2710)」塾長、池田 伸一さんに登場願いました。

 

英語と数学、教室を通じて、子ども達と共に学び成長したい!!

…磨き続けるとは如何に
 福山市で生まれ育ちました。幼少の頃は芦田川や山も近く遊ぶ場所には事欠かず自然の中で元気に遊んでいました。しかし小学校に上がってからは周りに運動能力の高い連中が多く、走っても泳いでも飛んでもいつもビリでした。私は運動が苦手なんだと思い込んでしまいました。低学年の時はこのことがトラウマになり勉強も手につきませんでした。高学年になってから「勉強で頑張ろう」と決意。その結果、学級委員長に推薦され、やらせてもらうことになりました。後で知ったのですが学級委員は運動会の時は本部席に座り競技には参加しなくて良かったのです。これは一石二鳥だと喜びました、というよりは「ほっ」としたのを今でもよく覚えています。中学に上がってからは馴染みのある卓球部に入りましたが、担任の数学の先生から統計部を立ち上げ誘っていただきました。オーラの強い憧れの先生だったのですぐに入部を決めました。ここでは計算尺(対数の原理を利用したアナログ式の計算用具)を使ったりして棒グラフをはじめ、いろんなグラフを作りました。現在のマーケティングのはしりを楽しく勉強できました。この先生の口癖が「金剛石も磨かずば…」です。何百回も聞かされました。覚えているのはさわりの部分だけでちゃんとした意味は解りませんでしたが、常に自分を磨き学び続けることと自分なりに理解していました。この行が私の座右の銘のひとつになっています。高校受験は福山と神戸の難関校に挑戦しました。補欠に残れましたが入学はしませんでした。結局、地元の公立高校に入学しました。中学で剣道部のキャプテンだった友人に体験入部を頼まれ、やむなく剣道部に入りましたが途中で成績不振を理由に剣道部を退部、文芸部に転部しました。人付き合いが得意ではなかった私は詩を通じてコミュニケーションを取りたいと2年間、本気で取り組みました。勉強も頑張り始めましたが英語の苦手意識が高く半ば諦めかけていたある日、英語の先生に突然「予習をしてきたか」と問いただされ、宿題にもなっていない予習をなんで?と思った私は「やっていません」と答えると立たされたまま1年間、授業を受けさせられることになりました。最初のうちは反抗して英語が益々苦手になっていきましたが、途中から予習をするように変わり、英語が解るようになってきました。3年になってからは校長先生にも声を掛けてもらい昼休憩に英語を教えてもらいました。お陰様で2年の秋の本格的に受験勉強を始めるころには英語が大好きになっていました。受験は神戸の難関大学に挑戦。猛勉強の日々が始まりました。3年の夏には1日10時間は当たり前でした。何とか合格できた大学の4年間はサークルの英語研究部での活動を中心に、半分は神戸、大阪、京都の三都を中心にエンジョイしました。

…英語を通じ天職に出会う
 就職は大手マスコミ関係に入社。1年後にハウスメーカーに転職。4年後に福山へ戻り親戚の工務店の営業部門を任され頑張りました。このとき結婚。「あなたは何が得意なの?」と妻に言われたことに自問自答。答えは「英語」でした。1978年西深津町の自宅で「池田塾」を立ち上げました。3教室までに増やしましたが2010年頃から、時代の変化に対応できていないことに気づき自問自答を繰り返し、ただ勉強が出来るだけではダメなんだ。悩んでいる子ども達と一緒に成長していかなければ意味が無いことに気づき新しい塾のあり方にチャレンジさせていただくことにいたしました。そう決めた途端に神石高原中学の寮のサポート教室の英語教師を任せていただくことになりました。また、ナスミュージックさんのところでも英語と数学の教室を考えておられ一緒にタッグを組ませていただくことになりました。念ずることで花開きました。これからは、「金剛石も磨かずば…」を胸に時代や空間を超え、子ども達と共に学び続ける永遠の文学青年でありたいと決意も新たにスタートいたしました。


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