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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2014.5.29

異業種リレーの『わ』No.473 ナスミュージックアカデミー指導講師 那須 茉莉奈さん


今回は、「長谷川シェアード・サポート事務所」代表、長谷川美恵子さんのご紹介により、「ナスミュージックアカデミー(福山市青葉台1丁目11-3 TEL.084-947-7191)」指導講師、那須 茉莉奈さんに登場願いました。

 

使命を通じて大好きな街、
福山をもっともっと盛り上げたい!!

…やってやれないことはない
 福山生まれの福山育ちです。小さい時は人見知りが激しく泣き虫で、どちらかと言うとおとなしい子どもでした。2歳の頃から母は仕事が忙しく、いつも6歳上の兄が面倒を見てくれました。教室に通うことが母に逢える唯一の手段でしたね。3歳からリトミックを始め7歳でオルガン、8歳ピアノ、10歳はドラム、歌、ダンス…レッスンは毎日です。小学校は地元の進学校を受験し入学しました。環境が一変し気がつけば周りは個性豊かな友達ばかりでした。「もっと自分を表現しないとダメだな。負けちゃう。変わらなきゃ」と元々の負けず嫌いの性格に火がつきましたね。活発で負けん気の強い女子に変わるのにそう時間は必要なかったと思います。文句を言って言うことを聞かないヤンチャ娘だったと思います。勉強や音楽以外の経験を色々させたいと思ってくれていた母の期待を裏切り、リトミックの先生になろうと決意したのもこの頃だったと思います。
 中学は公立の学校に、一応吹奏楽部に所属はしましたが授業が終わると一目散に教室へ母や先生について講師のアシスタントをやりました。音楽は大好きでしたし、講師やアシスタントは楽しいのですが自分のレッスンは苦手でしたね。とにかく人を楽しませたり喜ばせることに生き甲斐を感じていました。母譲りですかね?!
 高校は音楽の道に進みたいと思いました。母からの猛反対を押し切り岡山の女子高の音楽科を受験し入学しました。ここでは音楽のレベルの違いをまざまざと見せ付けられました。でも、それが私には良い刺激と勉強になりました。やる気に火がつきました。講師になるために役に立つオーディションやコンクールにはどんどんチャレンジしました。大阪へレッスンに月2回通いました。教室の手伝いのアルバイトも始めました。この高校を選んだのも憧れの大学のリトミック科に入りたかったからでした。しかしその大学のDVDを見ると私が目指すカウンセリングレッスンとは異なる内容でした。色々と迷いましたが、福山の音楽専科の短大に合格、入学することができました。先生からは厳しいといわれていましたが苦手な小論文も克服、先生にも推薦をもらえたお陰です。しかし、音楽を中心にやって来た私は授業について行けません。ここでも負けず嫌いが役に立ちました。「やる気でやればできないことはない」母の口癖にも励まされ「何とかなる」と言いきかせながら猛勉強。めちゃくちゃ頑張りました。青少年の育成活動のサークルにも入りました。勿論教室のアルバイトも休まず頑張りました。精神的にもきつく当時はガリガリに痩せていたとは後から聞いた母の談です。みんなの応援半分と残りの半分は気力で何とか卒業までこぎ着けました。今では良い思い出です。

…福山をもっともっと元気に
 就職は母の教室に入校。生徒さんやお母様方からのリクエストとお声掛けもいただいたお陰です。「やるぞー」母もライバルだ!しかし気合が入りすぎ空周りの日々が続きました。一人で熱くなり生徒にも厳しすぎるとブーイング、お母様方からもクレームをいただく始末でした。最初の1年はよい気づきをたくさんいただきました。お陰で本当の意味での人間力の大切さを学びました。仲間みんなに支えられ、レッスンはリトミック、ピアノ、ダンスそして毎月の自社イベントとオーディション、発表会、公共のイベントへの参加と毎日が充実、あっという間の5年間でした。最近は空いた時間に兄のセレクトショップにカフェを合体させた「エゴガーデン」に入りました。楽しく自我を満たす空間、時間、仲間を大切に、日々精進しております。これからも、ナスミュージックとエゴガーデンを通じて、生まれ育った、少し元気がなく保守的になっている町、でも大好きな「福山」をもっともっと盛り上げて行きたいと思います。