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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2013.11.28

異業種リレーの『わ』No.455 charly bicycle代表 川本健士


今回は、「みのる保険」代表、田中 稔さんのご紹介により、 「charly bicycle(福山市沖野上町6丁目2-30 TEL.084-959-4008)」 代表、川本 健士さんに登場願いました。

 

自転車の素晴らしさと楽しみ方を
伝えることが私たちの使命です!!

…とことんやれば道は開ける
 福岡で生まれ育ちました。幼少期は融通のきかない偏屈な子だったと聞いています。4歳の時に、初めて自転車に乗りました。小学校に上がってからは、近くに凸凹道を人工的に作ったBMXの簡単なコースがあったので、良く遊びました。一番の思い出は、町内のソフトボールで6年生の時にキャッチャーでキャプテンをやらせてもらったことです。地区大会で優勝、市の大会も経験しました。とにかく一所懸命とことんやりましたね。お陰でチームワークの大切さとリーダーシップを学ぶことが出来ました。

 中学ではスラムダンクの影響でバスケットボール部に入りました。練習は厳しく、来る日も来る日も基本の走りこみやステップ、ドリブルの練習で夜8時を過ぎることも珍しくありませんでした。当時はしごきも当り前のようにありました。歯を喰いしばり毎日ヘトヘトになるまでやっていましたね。2年に上がるとバスケットの楽しさも分かり始め、試合にもちょくちょく出られるようになりました。そんなある日、先生からこのままでは進学が厳しいところまで成績が下がっていることを知らされました。バスケがもっと楽しくなると思っていた矢先のことでした。将来のことも考え、やむなく退部を決意しました。2年生の3学期でした。翌日から塾通いと勉強の日々が始まりました。テストの点が悪いと体罰のある、厳しい塾に入りました。お陰で成績は回復、無事、志望の高校にも入学することが出来ました。

 高校は自転車通学で皆はママチャリタイプでしたが、私はマウンテンバイクを選択しました。今思えばこのころから自転車に興味を持ち始めていたのです。クラブは気軽に楽しめるとバドミントン部に入りましたが、しかし、めちゃくちゃハードでした。やればやるほど魅了され、気がついたときには勉強はそっちのけではまっていました。始めて2年で県大会のベスト16まで進めました。バドミントンにはまり過ぎてか、3年になっても進みたい道は定まりませんでした。でも、バスケとバドのお陰で辛くても頑張れば楽しめて道が開けることを体感できました。

…自分探しの挑戦
 卒業後は進学も考えましたが、福山の専門学校に行くことにしました。一人暮らしの始まりです。なぜ福山か?と良く聞かれます。実は兼ねてから興味のあったスノーボードをやりたいとの思惑もあったからです(笑)。そのためアルバイトはスポーツショップに決めました。

 勉強はもちろんのことスノボと一石二鳥のアルバイト、友人もたくさんできて本当に充実した有意義な2年間でした。卒業してからは色んなことにチャレンジしてみようと思い、就職はアパレル関係の会社に入社。製造の受注から納品までの交渉と段取りを任され、ここで1年。医療機器の会社で営業を3年、いずれも大変な仕事でしたがやりがいもあり、自分なりに仕事を楽しむこともできました。でも何かが足りない?もう一度、自分を見つめ直そうとアルバイトをしていた大手スポーツショップにバイトで再入社。

 スポーツ用自転車の販売部門に配属されました。1年契約ではありましたが社員採用され、安全整備士の資格も取得しました。「俺の仕事はこれだ」天職との出会いでした。10年間、夢中で働き勉強しました。その結果、限りない可能性を確信し独立を決断。2013年4月27日、ここ沖野上町にご縁をいただき、ロード、クロス、マウンテンバイクの専門店「チャーリー バイシクル」をオープンさせていただきました。お客様や仲間に支えてもらいあっという間に半年が経ちました。まだまだ力不足ですが、健康にも良く爽快で、便利な自転車の素晴らしさと楽しみ方を伝えて行くことが、私たちの使命だと決意も新たに頑張っています。