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異業種リレーの『わ』

特集・読み物


2013.4.22

異業種リレーの『わ』No.433 エスト美術研究所 代表 宇田 みさ子さん

今回は、「hm design」アートディレクター、グラフィックデザイナー、代表、平地 緑さんのご紹介により、「エスト美術研究所(福山市東桜町8-9 ベイリーフビル2F・3F TEL.084-928-1699)代表、宇田 みさ子さんに登場願いました。

 

出会いを大切に、自らもデザイナー として大成し業界に新しい光を!!

 

…運命との出会い

  東京で生まれ育ちました。一緒に遊ぶ近所の子がみんな年上だったせいか、負けん気の強いやんちゃな子どもでしたね。小学校の頃はお祭りが大好きで、深川の八幡祭りにはさらしを巻いて本参加、目黒や花園等の祭りにも出掛けて縁日を見て回るのが楽しみでした。小4までは新宿に住んでいましたが、都市計画で豊島区の千早町に引越ししました。そこは西洋文化が盛んなアトリエ村で芸術家や著名人の方がたくさん住んでいました。友達は当たり前のように絵をやっていたので、負けず嫌いの性格からか、越して間もなく、小学5年で油絵を始めました。絵への興味が深まるのにそう時間は掛かりませんでした。
  中学では美術部に入りました。頼れる、素晴らしい先生に出会えました。後でわかったのですが、私は特別に可愛がってもらっていました。基本や画材道具の使い方を厳しく叩き込まれました。高校は都立の美術学校へ行くつもりでしたが、父に強く反対されました。先生に説得してもらおうと相談しましたが、やめとけ、やるのなら大学からでも間に合うといわれ、ショックだったのを今でもよく覚えています。仕方なく商業高校へ入学しました。しかし、絵の勉強のため画材を買うのと、芸大の予備校へ行くためにお金が必要でした。旅館をやっている友達のところや定時制学校の事務等でアルバイトに明け暮れる毎日でした。受験のための予備校へ本格的に通い始めたのは、3年生の5月でした。知人の紹介で東京芸術大学の大学院生が先生をやっている予備校に入りました。しかし、先生は留守が多く、いつも一人で自習をしていました。「今日も先生が居ない」。気持ちは焦るばかりでした。先生を訪ねて東京芸大生の方が来られ、一人で絵を描いている私をみるに見かねてか、先生の変わりに教えてくれるようになりました。何人もの方が入れ替わり立ち代りで厳しく指導をしてくれました。私は泣きながらも歯を喰いしばって頑張りました。お陰様で職業高校から現役(初)で東京芸術大学に見事、合格できました。
今振り返れば、先生がいい加減な方で良かったと思っています(笑)。大学では自分でどれだけ勉強するかで、社会に出てからが決まると教えられました。周りは実力のあるお金持ちばかりです。勉強費用を稼ぎながらの大学生活のスタートでした。途中、良い先輩に恵まれてデザインのアルバイトで費用がまかなえる様になりました(感謝)。  

…使命を確信
 卒業後はすぐに結婚。しばらくは東京でデザインの仕事をしていましたが、主人の仕事の関係で福山に来ました。でも、東京のようにデザインの仕事はなく、知人の紹介で臨時職員として働いていました。ある日、母校の東京芸大からのオファーで福山の芸大予備校の立ち上げに力を貸してほしいと声をかけていただきました。ある程度は覚悟して引き受けましたが、立ち上げというよりは「改革」でしたね。
  まずは、画材の充実から始まり、色んな大学を回り情報や方法を探りました。多くの方の知恵やお力も借りながら、悪戦苦闘の15年、なんとか形が出来ました。今では、卒業生は何人も業界で活躍しています(嬉)。そして、1997年に独立。「エスト美術研究所」を立ち上げました。2010年に今の東桜町の自社ビルに移転しました。必至に勉強して芸大を卒業しても、ファインアートの仕事は教師や作家くらいしかないと誤解されています。でもそうではないのです。ボタンひとつとってもデザインが必要なのです。エスト(予備校)を通じてやる気のある若い方の潜在的能力を開花させ、私自信がデザイナーとして大成することで、活躍の道が無数にあることを知らせ、新道を切り開いていきます。それが、今の私の使命だと思っております。